私の体内時計には電池が入ってない

作者:根本美佐子

あらすじ
睡眠生活のほころびは小学生の頃からだった。
決まった時間に眠っても起きられない。早朝から起きて一緒に学校へ行こうと迎えに来る友達とはどこか違う。何故だろう。そう思うこともあったけれど、お父さんも休日は昼まで寝ているし、休日でない日も十時間寝ている。
家族に同じ症状がある人間がいたせいで、私は『過眠症』と判断されるのが遅くなってしまう。
学生時代は授業中常に睡魔と戦う日々。
同級生か部活や勉強を普通にこなしていく中、ついていけない自分への不甲斐なさが不安へ変わり眠いのに眠れなくなってしまった不眠症の症状が現れるようになるが、保健の先生に睡眠不足について相談すると、成長期特有の寝不足だと保健の先生に言われ、堂々と授業をサボって保健室のベッドで眠いのを我慢できない時は寝かしてもらうようになると、不眠症の症状は和らいだ。
でも、やっぱり毎日十時間は寝たかった。そうじゃないとスッキリした目覚めを味わうことは出来なかったし、昼間眠気と戦っていた。
学校生活は相変わらず起きていられないことが多く、テストはいつも赤点。成績はいつも学年最下位。どうしたらいいのかわからない学生生活を過ごし『寝すぎ』が不安になり内科に行くことに。
診断結果は『過眠症』ではなく『成長期特有の眠気』と診断され対処法は『上手く付き合っていくしかない』と言われてしまう。そのせいで家族からは結局、だらしないと思われ続けた。
専門学校を卒業して、一人暮らしが始まった。職場からは徒歩五分の所に家を借りた。私は私の為に出勤ギリギリまで眠れるようにと引っ越しをした。『眠気と上手く付き合う』そのためには残業するわけにもいかなかった。
しかし上司から残業を強要され、家が近い分、朝は一時間早く手巾して掃除や準備を命じられ時間外労働を強制され、断るとクビになった。
それから実家に戻り、何件か職場を変えるも、残業が出来ないことを理由にいつも自己退職に追いやられるほどのイジメにあった。
残業をした深夜二十五時。眠気に襲われ、原付に乗っていた私は居眠り運転をして事故を起こしてしまった。
それからはしばらく実家で引きこもりになり、ニート状態が続いた。そこで心療内科で『過眠症』とやっと診断される。
バイトを始め自分の睡眠と、上手く付き合って行けるようになった頃から、婚活をはじめるも、なかなかいい出会いに恵まれなかった。
一日に十五時間も眠ることを、理解し受け入れてくれる人にはなかなか出会えなかったが、唯一、私の生活リズムに興味をもってくれた男性に出会う。

第2回ショートストーリーコンテスト応募作品「私の体内時計には電池が入ってない」

 産まれてから小学生になるまでの私は、夜泣きも人並み。お昼寝も人並み。昼だろうが夜だろうが布団を敷かれれば、寝るもので、特に他の子供と変わらない睡眠量だったと母はいう。

みんなと寝てみんなと起きる普通の子だった。

 それでも三十歳になった今、振り返ってみれば私の生活は起きている時間よりも、いかに長く睡眠時間をとってきたか考えさせられる。

過眠症と診断されるまでの私。多くの人と少しずれた生活リズムで、普通とは違う生き方で、今日もよく寝て一生懸命生きている。

【寝る子は育たぬ】

 私の睡眠のほころびは、小学生になって初めての夏休みからだ。この初めての長期休みから睡眠に少々異変が起き始めた。

「起きなさいっつーの!」

 掃除機の音と母の怒鳴り声にも、私は目を開けなかった。

起きる気は一切なく、掃除機の音を逃れようと枕をかぶって耳を塞いだ。

「お兄ちゃんはもうプールに遊びに行ったっていうのに、なんてだらしないのこの子は!」

 本来だったら学校へ行かなくてはいけない時間でも、夏休みになると早く起きなくてもよくなった為、小学生になった私は朝寝坊が快感だった。

けれど、朝寝坊なんて言葉じゃおさまらなかった。自然と起きられるのはいつも昼の十二時。学校に行く日より五時間も長く寝ていた。母の怒りもわからなくもない。

午前中に友達がたずねて来ても、睡眠が優先。

 玄関から「みーさーこ!おーきーて!」と何人かの声がしても、なんで毎日来るんだろう。とか思いながら布団から出なかった。

たまに母が苦肉の策で、私がまだパジャマで寝ているにも関わらず、友達を家にあげて、私を友達たちに起こさせようと試みたことも何度かあった。

「起きろー!」

叫びながら私は友達に腕をひっぱられたり、お腹の上に乗られたり、耳の真横で「おーきーて!」と大声で言われたけど、その言葉は私の鼓膜を突き破ることはなく、私を起こすのに飽きた友達たちは、私の部屋でテレビゲームを始めて勝手に盛り上がっていた。それがうるさくてたまらなくて、私はガラガラの声で「あのさ、午後からにして」と言うと。友達は諦めて午後にまた出直してきてくれた。

なので夏休みは朝から友達と一緒に遊んだ記憶はない。お昼に朝ご飯を食べて、午後から友達と遊んだ。

そんな私に友達たちは「夜更かししちゃ駄目だよ」とか「二時間早く寝れば二時間早く起きられるから一緒に朝から遊べるよ?」などと私の生活習慣に助言してきた。けれど、決して私は夜更かしをしていたわけではなかった。

学校へ通っていた時と就寝時間は一緒で、ただ私は寝る時間が伸びただけだったのだ。

つまり学校へ通うために仕方がなく起きていただけで、本当は毎日寝不足だったということになる。

私には四つ年上の兄がいるが、彼は六時間も眠れば、朝は元気よく友達と学校へ行き、夜も遅くまで母と一緒になってテレビを見たりしていた。昼寝をすることもなく、土日、夏休み、冬休み、春休みも同様。学校のない日でも、兄の生活リズムは私と違って変わらなかった。

しかし、私の睡眠時間がこんなに長くなってしまっても、両親が私を過眠症や何らかの病気か疑いをかけられずにいた原因は、父の存在が大きく関わっていた。

父は私と同じで、仕事のない日は必ず、昼まで眠る人間だったのだ。

仕事から帰ってきた父も、ご飯を食べたら寝て、一度起きてお風呂に入り、また寝る。十時間とまではいかなくても、父も毎日よく寝る人だったのだ。

家族に同じような生活リズムを持った人間がいたおかげで私も『そういうもの』として扱われ、過眠が体に悪いことかもしれないと判断されることもなく、私は『ただよく眠る子』として、そのまま成長していった。

小学生までは休みの日だけよく眠れば、朝ちゃんと起きて学校へ行った。でも、いつも遅刻ギリギリだった。

それでも時々、私に「ねぇ明日から一緒に学校に行こう」と友達たちが言ってくることがあった。

 もちろん断った。

人を待たせるのは嫌いだったし、私のせいで遅刻したなんてことになるもの嫌だったし、だからといって早めに集合して一緒に登校するのが面倒で仕方がなかった。

それでも、友達たちは勝手に私を迎えに来て、私が着替えたり歯を磨いたりしているのを玄関から覗いて「早くしてー」と行動を急かしてきた。

散々待たしてしまったというのもあって、友達に何も言えなかったけれど、私は猛烈に不貞腐れながら学校まで、その子たちと通学路を歩いた。

「ねぇ、もっと早く起きられないの?」

「うん」

 この話題が出る頃になるとやっとお迎えから解放されるパターンが多かった。

「もう一緒に学校行くのやめていい?」

「いいよ」

 そもそも一緒に行きたいなんて言ったことがないのに、みんな誰かと一緒に登校しないといけないみたいな風潮が私は大っ嫌いだった。

 こうして次の日の朝からは、誰も私を迎えに来ないでくれた。ちょっと寂しいかったけど、ギリギリまで眠むれる快感。帳尻を合わせるには一人、自分のペースで早歩きで学校に行く。気楽だった。

小学生の時は、ちゃんと寝て、起きて、授業中も寝ることなんてほとんどなかった。

でも、私が過眠を障害と感じるようになったのは中学生になってからだった。

【勉強と運動と睡眠】

中学生になって部活に入って朝練が始まると、あっという間に寝不足の日々に耐えられなくなってしまい、授業中も起きているのか寝ているのか分からないような状態で、ノートにはいつも筆記体のような文字が書かれていた。そんな半分寝ながら書いた文字たちが読めるわけもなく、休み時間に友達にノートを借りて書き直す日々だった。

放課後は夕方まで部活で運動し、家に帰ってからはお風呂に入り、夜ご飯を食べたら、宿題も勉強もせずに眠りを優先してしまうようになっていた。

おかげで成績はいつもクラスで最下位。学年でも最下位。テストは全て赤点。

 そんな私を、先生は教室と違って狭くて倉庫みたいな匂いのする進路相談室に呼び出して、たびたび説教するようになった。毎回私は胃が収縮するような気分のまま、先生と対面して座っていた。

「根本ぉ、お前高校行く気あるのか?全教科赤点学年でお前だけだぞ?」

「はぁ……」

「ため息つきたいのは先生の方だ」

 生返事を溜息と間違えられてしまった。でも頭の片隅に眠気があって、緊張しているはずなのに、溜息よりもあくびを堪えていた。

「授業中もいつも眠そうにして、全然集中できてないだろう?夜更かしか?無駄な夜更かしはしないで勉強で夜更かししてくれるのは歓迎なんだけどなぁ」

「はぁ……でも先生、テストがある限り、誰かが一番ビリになりますよね?」

「一人で全部ビリは困るんだよ。逆ならいいぞ?成績オールトップは気持ちいいぞー」

「はぁ……」

 私は全部ビリでも全然困っていなかった。

 でも、結構な数のクラスメイトは授業中に居眠りをしているのに、いつ勉強してるんだろう。私は行っていないけど、塾とかで頑張ってるのかな。

家に帰ると電話で先生から全教科赤点の話が母に伝わっていて、その日から夜ご飯を食べた後、勉強をするように母からプレッシャーをかけられ、私が勝手に寝ないように勉強をリビングでさせるようになった。

そのせいで毎日寝たいと思うタイミングの時間から、二時間経ってからしか寝かせてくれなくなってしまってからは、眠かせてくれないことにストレスに感じるようになった。

けれど、ストレスとは不思議なもので、いざ眠ろうと布団に入ると全然眠れなくなってしまった。

眠いのに眠れない。そんなことが起こったせいで、朝になると起きるのがもっと億劫になってしまった。

部活の朝練も休みがちになり、貴重な昼寝タイムの昼休みに顧問の先生に呼び出され、休み時間中ずっと職員室でお説教をされた。

本当は部活なんて眠る時間が少なくなるだけだし、ただでさえ眠いのに、更に疲れで眠くなってしまう。だから何度も退部したいと退部届を出しに行った。

けれど、成績の悪い私は内申点のために部活を続けるようにと強要され、部活を辞めさせてもらえなかった。

「美佐子って部活やる気あるの?」

「ないよ」

 私はあまり嘘をつかないタイプだった。

「マジ最低。この前の練習試合もサボったよね。もっとレギュラーの自覚持ってよ」

 部活のメンバーのことも好きじゃなかった。中学生女子の独特な人間関係についていけない自分がいた。

朝練の集合時間に間に合っても一番遅く来る私のことを、私が休憩中、目を瞑って少しでも眠ろうとしていると、すかさず彼女たちは横で私に聞こえるように悪口を言っていた。

みんな昼寝でもすればいいのに。

 睡眠の質が悪い日々。それはつまり部活も勉強も上手くいかない日々。

だけど部活の仲間が私を嫌うのもわかる。やる気がなくても実力主義のせいで、後輩に追い抜かされることもなく、レギュラー落ちしないくらいには私は運動神経がよかった。起きていられるときは頑張る。簡単に言えば、私は負けず嫌いだった。

 友達ともっと仲が良ければ、部活が私にとって楽しいことだったら、もう少し自発的に起きようと頑張ったかもしれない。それも全部、毎晩よく眠れていないからだと自分ではわかっていた。けれど、誰も味方になってくれそうな人はいなかった。

 学校帰り、とりあえず部活の友達と帰っていたけど、楽しくなかった。一人で歩けばもっと早く家に帰れるのに、ダラダラダラダラ遠回りして帰らなきゃいけなくて、一秒でも早く帰って寝たいのに、放課後の中学生は恋バナをするのに忙しかった。

 でも恋の話題が尽きると、私への説教タイムが始まる。

「美佐子さぁ、なんで今日の朝練来なかったの?」

「ほんとだよ。今週ほとんど朝練来てないじゃん」

「だって眠くて」

「それって言い訳にもなってなくない?みんな頑張って起きてるのに、眠いとか意味わかんないんだけど」

 眠いに眠い以外の意味なんてあるんだろうか。

「明日の練習試合は絶対遅刻しないでよ」

「ああ、それなんだけど、行けないんだよね」

「ハァ?なんで?」

この頃、特につらかったのは、土曜日と日曜の朝だった。どうしても、土日は休むものとういう小学生の時の感覚が抜けなくて、学校がないのに部活だけ行くと思うと、起きようと頑張ることが出来なかった。

「家族で出かけるんだ」

 嘘だった。

とにかく私は部活の練習試合をよく休んだ。それをサボったといつも言われていたけど、私にとっては睡眠不足と言う名の体調不良だった。

 夜、寝つきが悪くなってしまったせいで、眠いのに眠れなくなってしまった私は何にも意欲を持てなくなってしまったし、友達との人間関係とかもどうでもよくなってしまっていた。

「明日の練習試合何時に起こせばいい?」

「ああ、明日は休みだよ」

 母にも平気で噓をついた。

 本当は勉強も部活も友達も睡眠も大切にしたいのに、睡眠が欠けただけで学校生活が何一つ上手くいかなくなっていた。

 土日は日中とにかく寝ていた。夜あんまり眠れなくなったから休みの昼くらい一人になって寝ていたかった。

今までは昼も夜も、いくらでも寝れると思っていたのに、夜は四時間ぐらい寝れたと思う日がマシになってしまった時期もあった。

だからなのか授業中はやはり眠くなる。毎晩寝付けなくなっても、朝頃から眠くなりはじめる体になって、寝てはいけないと思っていても授業をきくのがしんどくて、学校自体に行きたくないと朝、泣きながら母に愚図る日もあった。

そんな中、噓がばれて、土日も部活に行かなくちゃいけない日があって、休日さえも昼まで眠ることも出来ずに、おまけに学校も休んではいけないなんて。辛すぎた。

なんなんだ中学生。

何で毎日毎日同じことを繰り返さないといけないんだろう。やりたくないことだらけになって、中学生を挫折しそうになっていた。

私は悩んだ末、学校でも物理的に寝床がある保健室に行った。

保健の先生に「自分は昔から十時間以上寝ないと眠れた気がしない」と相談をした。誰かに眠りについて相談するのは、それが初めてのことだった。

でも、意を決して相談したのに、保健の先生はウフフと笑った。

「成長期は眠くなるものなのよ」とだけ言って私の睡眠への不安を軽く流されて終わってしまった。

期待外れの回答で少しガッカリした。

多分、どこかで『それはおかしい』と言ってほしかったんだと思う。

けど、先生は睡眠に対してとりあえず理解があり、その日から毎日のように保健室のベッドで寝かせてくれるようになった。

その日から私は開き直って保健室で堂々と授業をサボるようになった。

授業中に机に突っ伏して眠るのは先生に怒られるし内申点にも響く。授業中ずっと睡魔と戦いながらウトウトしている姿を見せるよりも、横になって本気で眠りにつきたかった私は保健室のベッドの虜になった。

もちろん成績は下がるけれど、学校にはちゃんと登校しているし、欠席にはならない。

授業を一日二時間サボって保健室のベッドで寝かせてもらえば、なんとかストレスも改善されて、毎晩寝つきが悪くなっていたのも、布団に入って三十分くらいで、その頃からまた眠れるようになったのにはとても安心した。

思えばこの頃のは私は眠いけど眠れない所謂『不眠症』状態だったのだと思う。

保健の先生の言うように『成長期は眠くなるもの』だったのかもしれないけど、夜は四時間睡眠で昼間は眠くて仕方がないなんて、やっぱり体内時計がどうかしていたと思う。

毎日の睡魔をやり過ごし、やっと部活を引退し、朝練や夕方までの練習から解放された中学三年生の夏休みは、小学生の夏休みと同じように、夜は早く寝て、お昼に起きる生活をした。午後からは受験勉強のために塾に行ったけど、眠くなることはなかった。

やっぱり睡眠が足りていれば、午後からは起きて集中することも出来るのだと自信につながって、少し成績も上がった。けれど、夏休みが終わると、また睡眠のことで悩むようになった。

学校がある日の平均睡眠時間は七時間。

辛かったけど、なんとか保健室に行って眠ることもなく授業を受けられるようなった。けど、そのころから土日休みに異変が起きた。いつも昼になれば自然と目が覚めていたはずなのに、そういうわけにはいかなくなっていた。目覚めるのは昼の三時。寝るのがだいたい夜の零時だったから、私は十五時間も眠ってしまうようになっていたのだ。

両親が働きに出て行っていたのもあって、起こしてくれる人が誰もいないと、私はこんなにも人生を眠りに捧げてしまうのかと、初めて明確に『寝すぎ』が不安になった。

 でも、お父さんもそうだしなぁ、というのが不安を緩和させてしまっていた。

【ついに内科】

『寝すぎ』の日々は、高校生になってからも続いた。

私が夜に寝ようとすると母が、子供じゃないんだから夜は勉強しなさい。と言うようになって、もう大人なんだから朝も余裕をもって早く起きなさい。と小学生と中学生では通用していた「あと五分」が通用しなくなった。

朝、まだ寝ているのに、母は私の口を無理やりあけて、卵かけご飯を、突っ込み無理やり起こしてくるようになった。

高校生ともなると、友達もみんな垢ぬけて、朝からシャワーを浴びる人や、アイロンで巻き髪を作る人や、校則違反だけどナチュラルメイクをする人もいて、私みたいに家から一番近い私立の高校に自転車で行けて、ギリギリまで寝ている生徒は私ぐらいなものだったように思う。

案の定、夜は宿題も勉強もほとんとせず、午前中はウトウトする高校生活がはじまり、部活は毎日あって大変だからと、生徒会にはいることを選んだ。

先生からは「こんなに成績の悪い生徒会委員は初めてだ」と、おしかりを受けることもあったが、中学生の時みたいに、保健室で寝かしてもらわなくてもいいくらいには、なんとか毎日睡眠を九時間とれるようになった。

新しい友達からは「寝すぎててウケるんですけど!」と笑いがとれた。

その頃、流行っていた深夜のバライティー番組の話についていけなかったし、相変わらず睡魔と戦いながらとったノートは筆記体みたいで読めなかったけど、そのノートを休み時間のたびにクラスメイトは見に来た。

「古文の授業なのに漢字一つも書いてないじゃん!」

「はぁ……」

 友達が私のノートで笑う度、自分でも納得してしまった。

「ギリシャ神話的な古文の授業だったっけ?」

「いや、万葉集がどうのこうのって内容だった……よね?」

「記憶もないんかーぃ!」

 女子高生って凄く笑うしパワフルだなぁと眠い頭でいつも思っていた。

 昼休み、何人かの友達とお弁当を食べた後、私はすぐに机に上半身を預けて眠った。

 二十分。たったそれだけの昼寝で午後はなんとか起きていられるようになった。

だけど困ったのは、また休日だった。

十五時間も寝ていると、母が私も気にしていた疑問を問いかけてきた。

「あんた寝ててもトイレ行きたくならないの?」

「ならないんだよねぇ」

 その頃、母は土日祝日に無理やり私を起こすことはなかった。けど、トイレに十五時間も行かないなんて確かに不思議に思われても仕方がない気がした。私も同じ症状の人がいたら気になったと思う。でも私は、膀胱炎になることもなかったし、トイレのために途中で目覚めることも一切なかった。

「これだけ寝てればそりゃ夢もたくさんみるわよね」

「うん」

「あんたの悪夢に何度付き合わされたことか」

 母はとても皮肉っぽく言った。

「だって、夢なのに本当にあったことみたいにリアルだから、しょうがないじゃん」

 実は起きる二時間ぐらい前になると、豪華五本立ての夢を見る日もあったりするくらいたくさん夢をみた。しかも私は、見た夢のことをわりとしっかり覚えていた。

 夢の中だからもちろん不思議なことがたくさん起きる。

でも、体感は現実に近くリアルな夢を見ることが多かった。嬉しいと感じる夢は大抵、好きな芸能人と喋ったり、幼いころに戻ったり、何かを食べたり飲んだりもするし、電車を運転したりもする夢もあった。

時には重力がなくなった感覚を味わったりする特殊な夢もある。

 夢は記憶を整理しているとか、熟睡出来てないとかそういうことらしいと思っていたけど、ネットで検索すると夢占いなんてものがあって、目が覚めた時にスマホで見た夢のことを検索して夢の内容から、自分の潜在意識を調べたりして楽しんでいた時期もあった。

けど、いい夢だけじゃなく悪夢も多い。現実に起こったことじゃないとはいえ、歯がポロポロ抜けてしまったり、大量の虫が体を這う夢だったり、目覚めが最悪なことも多々あった。

睡眠が夢のせいで不安定になればなるほど、十時間以上寝ていても、何故か『もっと寝なくちゃ』と思ってしまった。

夢を見た日、特に嫌な夢を見た日は学校に行きたくなくて、子供の頃はよく学校へ行きたくないと愚図って母には「悪夢ごときで甘ったれるな!」と、私が泣くまで叱られたこともあった。

だから夢に生活を左右されることはとても多かった。

夢を見た日は、立っている時でも眠くなることがって、じゃあそのために、あと何時間寝れば気が済むのか、考えても自分ではわからなかった。

夕日と朝日の区別がつかないような日は、自分でも『寝すぎたかなぁ』と反省することもあったけど、我が家ではやっぱりお父さんが十時間くらいは寝ているので、少し不安があっても自分の睡眠量がおかしいと思うまでに至らなかった。

けれど、高校三年生の冬。

ついに母がキレた。

「寝すぎだっつーの!」

 夕飯の時間になって、私を何度も母が起こしに来た。けど、眠くて何度も生返事をして無視をしていたら、母が私を初めて蹴り起こしてきて、珍しく凄く怒鳴られた。

「夕飯の時間ぐらいは守りなさいよ!デレコロデレコロ!いい加減にしなさいよ!」

 デレコロって母はよく言うけど、未だに意味はわかっていない。多分ダラダラするなってことなんだろうけど、寝ぼけた思考でなんかデレコロってハンバーガーみたいだなとか思っていた。

 我が家では、家族そろって夕ご飯を『いただきます』とすると決まっている家だったので、今までも夕ご飯前に起こされることは多々あった。けど、母が私にこんなにもしびれをきらすように怒鳴って起こしに来たのは初めてに思えた。

怒鳴られていい気はしないし、罪悪感も眠気には勝てなかった。

私は起きるなり開き直って、母に薄々考えていたことを言った。

「私さぁ、こういう病気なんじゃない?」

 ピタッと母が停止した。

「そんなわけ、ない。ないんじゃないの?」

少し戸惑いながら母がそう話始めた。

「ただ昔からだらしないだけでしょ?」

 結構傷ついた。

 私は自分でも、どこかみんなと違うとは思っていたし、父に似ただけだって思っていたし、本当は気が付きたくなかったけど『自分は寝すぎ病』なんじゃないかって考えてこなかったわけじゃなかった。でも、母にはそんな自分を受け入れてほしいと思っていた。

「ただの甘えでしょ?」

 現実は甘くなかった。

「病院、連れて行ってよ」

 私は母に甘えるようなことを言った。

「何科にいけばいいの?内科?」

「まずは内科じゃないかな」

「お母さんも一緒に行った方がいいの?」

「うん」

 その時、母は納得してない表情をしていたけど、後日、近所の内科に連れて行ってくれた。

 きっと病名がある。寝すぎにだって、きっと何かの病名があるはず。そう自分では思っていた。その気になってしまっていた。

でも、医者に睡眠時間を中心とした生活スケジュールを伝えると無表情で感情のない言葉が返ってきた。

「寝すぎだね」

 そうなんです。わかってます。だから病院に来ました。

「成長期って眠いものですよ。生理の日は特に眠かったりするでしょう?あんまり悩まなくても大丈夫です。そういうものだと思って上手く付き合って行ってください」

 それってつまり……。

「何か病気ってわけじゃないんですか?」

 おそるおそる私が言うと、医者は「そうです」とハッキリ言い切った。

 その瞬間、付き添いで横に立っていた母が私の頭をちょっと強めに叩いて、振り返ると怒った顔で、『ほら!』と口には出さなかったけど唇が動いた。

病気じゃないならなんだって言うんだろう。

納得は出来なかったけど、医者がなんでもないと言うんだから、そういうものかと思って私は、その日家に帰るなり、ふて寝した。

【専門カレシ】

 高校を卒業して歯科技工士の専門学校に進学した。

 専門学校に入ってからも授業中は眠かった。でもその眠気には理由があった。単純に授業の内容が算数とか国語とか英語じゃなくなって、全然知らない専門的な知識の話になったのが原因だったと思う。

 そのせいか、案外周りの人もウトウトしていたり、完全に眠っている人もいた。もちろん授業中は寝ないように努力した。けど、すぐに睡眠の問題に直面した。

 初めてのバスと電車での通学。決まった時間に家を出ても、道路が日によって渋滞したりするバスのせいで、余裕をもって早く起きないといけなかった。

電車も、椅子に座れた日はラッキーで三十分くらい寝ることが出来たけど、そのおかげで何度寝過ごして学校を遅刻してしまったか。数えるのも恥ずかしかった。

授業が始まっている教室に、遅れて途中から聞く講義は、何が何だかわからずにとりあえずノートだけとって終わってしまうことが多く、気がつけば結局テストは赤点でクラス最下位。

「根本ぉ、歯科技工士は国家資格だぞ?簡単に取れる資格じゃないんだぞ?」

「はぁ……」

「わかってるのか?このままじゃ卒業試験も受からないぞ?」

「はぁ……」

 私の学生人生は赤点と最下位が付いて回る。原因を辿れば、いつも行きつく先は睡眠。専門学校は家から遠かったせいで、高校の時よりも一時間以上早く家を出発しなくちゃいけなかったし、帰りも夜の八時を過ぎるので、一気に睡眠不足生活だった。

そんな日頃の生活に支障が付きまとっている中でも、ついに私にカレシが出来た。

だけど、そこで私は自分の『寝すぎ』に打ちのめされることになった。

 事件は学校ではなくラブホテルで起きた。

「なんで寝たの?」

 早朝の牛丼屋さんで、私とカレシは向かい合って牛丼を食べた。

気分はまるで犯罪を犯し、取り調べを受けているみたいな気持ちで、彼の言葉はサボテンの棘のように心によく突き刺さった。

「ごめん。嫌だったとかじゃないんだけど、私昔からよく寝るの」

「でも普通寝ないでしょ」

 ラブホテルに来て、私が先にシャワーを浴びたのがいけなかった。カレシがシャワーを浴びている間に私は、スプリングの入った大きなベッドで思いっきり寝てしまった。

「起こしてくれても全然大丈夫だったのに」

 取り繕ってみたけどカレシの態度は冷たいままだった。

「何度も起こしたよ。でも俺のこと何度も突き離すみたいなことしてきたじゃん」

 いつもの癖で起こされても反射的に相手を押し返してしまったらしい。

「ちょっと疲れてて」

「じゃあラブホ誘った時点で言ってよ」

 ごもっとも。でも、ラブホテルに入った時点では眠くなかった。ベッドに寝転んで待っていたのがいけなかったのだ。

 だけど、その気にさせておいていた手前、私もさすがに申し訳なくて、無言になってしまったカレシに何度も「ごめん」を繰り返すしかなかった。

 帰り道、電車に乗って池袋から家へ向かっている間も、カレシは口をきいてくれなかった。

「私、昔からよく寝るとういうか、起きてられないといか、一日十時間は寝ないとなんだか寝た気がしないし、多い時なんて十五時間トイレにもいかないで寝続けちゃうし、あと夢もたくさん見るの。凄くリアルな夢で食べ物の味も感じるし、時々重力もなくなっちゃう夢なんかもあって、それから……」

きいてくれているのか、無視しているのか、カレシは無反応で、私が喋るのを止めたら、

電車の音だけになった。

私もしばらく黙って前だけを見ていたら、沈黙が居心地悪くて、結局またウトウトして、凝りもせず私はまた眠ってしまった。

十分ぐらいしか寝なかったと思う。だけど、肩を突かれて気がついたら新宿についていた。カレシの乗り換えのタイミングだった。

「寝過ごさないでね」

 彼は呆れた顔をしていた。

「あ、ありがとう」

 寝すぎて誰かに迷惑をかけたことは今までもたくさんあったけど、ガッカリされたのは初めてだったような気がする。

 眠くならないようにする努力を今までもしてきたけど、残念なことに私には、眠くなりにくいで有名なコーヒーが香も味も苦手だった。

砂糖を入れて無理に飲んでみたこともあったけど、睡魔が迎えに来る時間は一緒で長く起きていられることもなかった。

でも偶然カレシが飲んでいたエナジードリンクを一口もらった私はその味に仰天した。運命の出会いって、こういうことなんじゃないかってくらいエナジードリンクを私は滅茶苦茶気に入った。飲み物の中で一番好きになった。

エナジードリンクにはカフェインが多く含まれており、味も色んな種類があって、その頃から毎日欠かさず一缶飲むようになった。すると三時間ぐらい長く起きていられるようになり、学校の授業もほとんど寝なかった。だけど、睡眠が浅くなったのか夢をたくさん見た。でも、朝も起きられるようになったし、エナジードリンクは私の生活に欠かせないものになった。

どのエナジードリンクも糖質が多く含まれているので、飲み始めた頃は、太るかもしれないと思ったりもしたけど、通学が長い分いい運動になって体重は変わらなかった。

美味しくシャキッとした六時間睡眠の日々。これこそが普通の人の生活。けど、疲れは日に日に増していく。休日はもうデートなんてする力は残っていなかった。

私はカレシと別れた。恋人より寝ることを選んだ。

青春は睡眠あってこそ。健康も睡眠あってこそ。

病気じゃないならいくらでも眠っていいはずだし、誰にも文句は言わせない。十三時間から十五時間、とにかく『寝貯めだ』と完全に私は開き直っていた。

授業中も。休み時間も。通学路の電車もバスも。眠れる隙があれば寝た。

成績とか、就職活動とか、本当は恋とか友達とかも大切だったのにって、いつか後悔する日が来るかもしれないと、ちゃんと思ってた。

けど、エナジードリンクは結局気休めみたいなもので、薬じゃないし、私の寝たいって気持ちは本物で、目を瞑れは意識は睡眠に落ちていく。

睡眠は私の人生には欠かせない大切な時間だった。起きている時だけ頑張ればいい。寝ている時まで頑張ったって仕方がない。

「奇跡だな」

 先生が職員室に私を呼び出してそう言った。

「はぁ……」

別に全然努力しなかったわけじゃないけど、私は無事に歯科技工士の国家試験に合格して、先生のあっせんで、茨城県の歯科技工所に内定をもらった。通勤したら三時間はかかってしまう。

 ついに一人暮らし。いよいよ社会人。

思えば両親には随分過保護に育ててもらったと思う。特に朝はいつも私を起こすのに一苦労も二苦労もかけた。

 けど、これからは誰も起こしてくれなくなる。

 両親からは引っ越し祝いだと目覚まし時計をプレゼントされた。

【サービス出来ません】

 古い技工所。古びた機械。そこに思考が古い人間が働いていた。

 二十五歳の五つ上の女の先輩が一番若くて、四十代男性が二人、五十代が男性が二人の、広いけど規模の小さな職場だった。

 勤務開始時刻は午前九時。

 職場までは徒歩五分の所に部屋を借りた。理由はもちろん、ギリギリまで寝ていたいからだった。私は自分の為に引っ越しをしてきた。通勤に三時間なんて冗談じゃない。

 私は毎晩夜の八時くらいから寝て朝の八時くらいに起き、会社に行った。

 けど、働き始めて八カ月経ったころ、いつものように定時の十八時が来たので、自分の作業台を片付けて「お疲れ様でした」とみんなに声をかけて、その日も帰ろうとしたら、四十代の上司に「あ、根本さんちょっといいかな?会議室来てくれる?」と呼び出しをされた。

 今まで生きてきて、いいことで呼び出されたことなんて一度もなかった。悪い知らせだってことは、働き始めた頃から薄々感じていた。

「あのさ、先輩が一時間早く来て掃除とかしてくれてるんだから、根本さんもさ、もう少し早く来ようか。せっかく近くに住んでるんだから」

「あ、無理です」

「へ?」

「だから、無理です」

 やっぱり。碌な話じゃない。なんて無駄な時間だろう。

 この会社では、何故か二十五歳の唯一女性の先輩が、一時間早く出勤しているらしかった。正直、馬鹿な人だなと思っていた。時間外労働が趣味なんだろうか。家に帰っても、よっぽどすることがないに違いない。

 四十代の上司は私が堂々としているせいか面食らっていた。

「あのね。でも、先輩は一時間も早く来てみんなのために準備してくれてるんだよ?」

「それ、不思議だったんです、なんかの罰ですか?先輩ってイジメられてるんですか?お給料変わりませんよね?」

「いや、イジメとかじゃなくて、善意だよ」

「その善意にお給料って出ないんですよね?お給料変わりませんよね?」

 二回言った。大切なことなので何回でも言うつもりだった。

「うん。でも……家近いんだから」

「当たり前です。わざわざ近くに引っ越してきたんです。でも、引っ越しに五十万円かかりました。家具、家電、食器に、敷金礼金、光熱費に、家賃。会社からは通勤手当も出ませんし、家賃保証もありません。私は、私の為に引っ越しをしてきました。家は近くにしましたけど、私の為です。この会社は残業代が出ないんですから帰りも定時で私は帰ります。もちろん朝も出勤時間に来ます」

 上司は意味が解らないという顔をしていた。

「ゆとり世代って怖いんだなぁ」

「そうですか?ブラック企業の方が怖くて今ちょっと震えてます」

「根本さんさぁ、変わってるって言われるでしょ」

「はい。でもそれ先輩にも言ってあげた方がいいですよ?」

「なんかさ、そういう態度、少し気にした方がいいよ。みんなは残業してるのにさ、引け目とか感じないの?」

「感じますよ。『引け目を感じろ!』っていうみなさんからのプレッシャーを。凄く居心地悪いんですよ。でも、私は今日も定時に帰りますし、明日も出勤時刻から働きます。もういいですか?」

 バンッ!上司が机を叩きながら立ち上がった。

「ああ!もういいよ。帰りな!帰りな!やる気がないんじゃしょうがねーや!」

 逆ギレされた。

でも、まぁ、正論言っているのは私だし仕方がないか。

 もちろん心が痛まなかったわけでもない。上司の男の人特有の高圧的な態度も怖かった。でも、ここで折れて、一時間早く来て六時間残業を毎日していたら、きっと眠気に負けて

会社をサボってしまうような気がする。一度サボったら癖になってしまうような気がする。

 なんか辞めたいな。と思ってしまった。

 別にココじゃなきゃ働けないわけじゃないし、生きていけないわけじゃないし、毎晩寝よ

うとする頃に母から電話がかかってきて「寂しい。帰ってきてくれたらいいのに」って言わ

れるし、睡眠時間が減るくらいだったら、辞めた方がましだ。

「あの。私がいらなくなったら言ってください」

「なんだって?」

 私は声に力を入れた。

「私が必要じゃない会社なら辞めます」

 上司が溜息をついた。

「じゃあ辞めてよ。君が入社してから、みんな君がギリギリで一番遅く出勤して、一番早く帰って手伝おうともしないで平然と帰る君にみんなイライラしてるんだよ。みんな深夜まで頑張ってるのに、なんで平気でいられんだよ」

 私からしてみたら、なんでお給料も出ないのに深夜まで働いて早朝から平気で働けるのかが不思議だった。

 入る会社を間違えた。

「わかりました。じゃあ明日退職届持ってきます」

「根本さんは社会人のプライドないの?」

 会社に見切りをつけられた気分だった。でも、社会人一年目。死ぬまでこの会社にいるつもりはない。

「プライドはありますよ。私は自分の作った技工物には自信があります。実際ミスってほどの失敗して迷惑かけたこともなかったと思います。みなさんと違って作り直しのケースもなかったでしょ?なんでだかわかりますか?」

 辞めると決めたら、なんだか晴れ晴れとした気分だった。

「ちゃんと毎日寝てるからです」

 実家に帰って、新たに中度採用している技工所を探し実技試験をクリアして採用された。

入社試験は軽くパス出来るくらいの技術を持っていたわだけど、どこの技工所も何故か早く来いと言われるし、定時で帰ろうとすると怒られたし、仲間外れにされたり、無視されたりするイジメにもあった。

 だからすぐに辞めては、また別の技工所を受けるの繰り返しをした。

 二年半で働いた四件目の技工所はとにかく人が足りてなくて、納期も短くて、さすがの私でも残業代が二時間だけ出るから毎日二時間残業していた。

 一日十二時間。週六日。何故か日曜日しか休日がなくて、入社してすぐに、契約と違うし変だなって思っていた。

けど、辞めるタイミングをうかがっていたら、先に体の方が壊れてしまった。

 原付バイクで十五分ほどの距離にあった職場からの帰り道。

深夜二十五時。

その日は機材トラブルがあったせいで特別遅くなった日だった。私以外の職場の人たちは毎日この時間に帰っているって言っていたけど。理解できなかった。

みんな納期が、納期がってそればっかり気にして必死に作っていたけど、出来ないってなんで言えないんだろう。頑張るって寝ないことなのだろうか。寝てないことは自慢できることなのだろうか。

毎日がテスト前日みたいな雰囲気で、私は疲れ果てていた。

原付でウィンカーを出していたけど、その音しか聞こえないくらい夜道は静寂だった。当たり前だ。深夜二十五時。騒がしくてたまるものか。

信号は青に変わり、右折した。家まであと少し。お腹もすいた。でも食べるよりも寝たかった。

寝たかった。

眠いんだ。

瞼が痙攣しはじめた。そのせいで左に寄りすぎて走ってしまった。原付の前輪が縁石にこすれてバランスを崩した。ブレーキ。体が宙に浮く。街灯にヘルメットが当たって首が曲がった。これが全部一秒の中で、起こった出来事だった。

意識はあった。

自分が事故を起こしたことも理解していた。でも、他に車も通ってこない。人も歩いていない。スマホは鞄の中で、しかも原付の椅子の中に収納されてる。

首と脚がなんか痛いけど大丈夫そうな感じがする。両手も動くし、頑張れば立てそうだった。

でも、涙が出ていた。

私の人生はいつになったら寝るのも忘れるほど楽しいことが起こるんだろう。

眠気といつまで戦えばいいんだろう。そもそも生理現象が敵なんておかしい。

睡眠より大切なこともっとあったはずだ。見たいテレビとか、読みたい漫画とか、友達と出かけるとか、カレシとか、オシャレとか、仕事だってそうだし、本当は小説書くのが好きとか。

全然まだ人生楽しくない。

 でも、もういいや。寝ちゃおう。

 秋でよかった。蚊もいないし、凍えるほど寒くもない。

 いい夜だった。

 夢も見なかった。秋の夜、私は道路の端で深い眠りについた。

でも目を覚ましたら、目の前に薄い水色のカーテンが揺れていた。匂いで病院だとわかった。ちょっと起き上がったらベッドじゃなくて、まだタンカの上だった。

 上司とお母さんの話し声がカーテン越しに聞こえて、慌ててまた寝たふりをした。

「なんであんなに遅い時間まで働かしたんですか!」

 お母さんが泣いていた。

「毎日毎日残業で何時に帰ってくるかコッチは不安なんですよ!」

「申し訳ありませんが、別に我が社も残業を強制してたわけじゃないんですよ」

「でも!女の子が出歩く時間じゃないでしょう!このまま目が覚めなかったら出るとこ出ますからね!」

「そう言われましても……」

 修羅場だ。

 会話の続きが気になったし、起きて母を安心させてあげなくちゃいけないのに、とっさにもう無理するのはもうやめようと思った。

 まだ眠い。

 もう我慢しないでとことん寝てやろうと思った。

【活動限界】

歯科技工士の仕事を辞めてからしばらく、と言っても三カ月ぐらいだったけど、私は家にいた。

 ひきこもりとか、ニートってやつだった。

 原付で事故を起こしてから、何故か味覚がなくなってしまったけど、事故の後遺症ではなくストレスと診断された。

 朝と昼は完全に寝ていて、唯一夜ご飯の時は起きて両親と食事をとった。けど、特にカレーの味がしないのがとても印象に残った。母が気を使って辛口にしたと言ったけど、そもそも味がしなかったし、匂いも全然しなくて、凄く変な感じだった。

だから食欲もなかった。

風呂上がりに体重を測ったら百六十センチの身長に対して三十九キロしかなかった。

仕事を辞めたらもっとしたいことがいっぱいあったはずなのに、いざ何もしなくてもよくなったら、何もしたいと思わなかった。

小説をパソコンで書いていたけど、一行だけ書いて三行消してしまう日もあった。

あるのは眠気だけ。

思い出したように、この眠気は病気じゃないんだっけ?と思った。

 一日十五時間くらい眠っていても、母は私のことをだらしないと言わなくなった。もうこれが普通みたいだって思ってくれているんだろうか。一日十五時間睡眠はもう普通なんだろうか。

また一カ月くらいこの睡眠生活をしていたら味覚が戻って、食欲も出てきた頃、体の打撲の跡も消えて、そろそろ働こうとぼんやり考え始めた。

家族で夜ご飯を食べている時、私はおそるおそる今思っていることを伝えようと精いっぱい言葉にした。

「ねぇ、私さ、もう技工士じゃなくてもいいかな」

 専門学校まで出してもらったけど、自分の限界を隠すことはもう出来なかった。

「どうしても眠いの。本当は、たくさん、もっと、色んな……やりたいこととか、しなくちゃいけないこととか、あると思う。でも、眠くてさ、いつも上手くいかなくなる。はじめたことを最後までやりきる力が私にはないって、悔しいんだけど気がついちゃった」

 お父さんは「好きにしな。また居眠り運転なんてして、今度は誰かを事故に巻き込んだら取り返しがつかなくなるし、無理しないでさ、ゆっくりやってごらん」

よく眠る父の言葉は肯定的で、安心をくれた。だけど、母は少し納得していないように見えた。

「前に内科に行った時はただ成長期の『寝すぎ』って言われてたけど、やっぱりもっと専門的な病院に一度見てもらった方がいいと思うの。そうじゃなきゃ、今のままじゃ、技工士じゃなくて、どんな仕事についても、きっとまた同じことを繰り返すと思うの。もう成長期なんてとっくに終わったんだから、今度は心療内科で診てもらわない?」

「心療内科?」

 明るくて、兄同様、六時間寝れば十分な母が、原付で事故を起こしてからは私の『寝すぎ』に理解を示してくれた。

「お母さんね、今まで美佐子は、だらしなくて、勉強嫌いのめんどくさがり屋だと思ってた。けど……だけどね、やっぱり異常よ」

 異常。あんまり親に言われたくない言葉だったけど、何故か安心した。

 電話で病院を予約して、車で三十分の心療内科に母と行くと、三十後半の男性の医師が症状を訊いてきた。

私は子供の頃から順を追って話をした。

起きていたいけど、どうしても眠くなってしまうこと。ほっとくと十五時間寝てしまうこととか、夢を見ること、その夢を鮮明に覚えていること、最低でも十時間は寝ないと寝たような気がしないこと、無理して起きるためにエナジードリンクを飲んだりもしているけど、飲み始めた時みたいに起きていられなくなってしまったこと、父にも同じような症状があること。高校生の時も同じ症状で病院に行ったけど『ただの成長期で眠いだけ』と言われてしまったこと。

思いつくことは全部喋った。

医者はそれらの症状を「なるほど」といいながら全部パソコンに打ち込んでいた。

「過眠症の症状がありますね」

「かみん症?」

「でもまず、統合失調症と自律神経失調症の方が問題ですね」

 聞きなれない単語は難しく、なんか物凄い病気なのかと期待してしまった。

「それって治るんですか?」

「可能性がないわけじゃないです。ただ、過眠については、うまく付き合っていくしかない部分でもあります」

 まただ。上手く付き合っていくしかないって内科でも言われた。簡単にそう言うけど、上手く付き合えなかったからココにいる。

「上手く付き合えないです」

「そう……ですかぁ」

 医者も困っていた。

でも、頭に一つの疑問が浮かんだ。

「あの過眠症って遺伝しますか?お父さんもよく寝るんです」

「遺伝かぁ……遺伝ではないと思うんですけどねぇ、ただ体質が似ているってだけかもしれません」

 それを遺伝とは言わないのだろうか。

「いるんですよ、過眠症の人って」

 そりゃいるだろう。

「生まれつきといいますか、まぁ睡眠時間が長い人のことをロングスリーパーって言うんですけどね。そういうものなんですよ。逆に睡眠時間が短くても問題なく生活できる人をショートスリーパーって呼んだりもしているんですけど、自分はよく寝るんだなって、少し自覚をもって生活していくことが、今のところは大事なんですよ。けど、まず自律神経の乱れとかをですね、整えていくっていうのも大切なんですよ」

 結局、診断結果は、おそらく統合失調症と自律神経失調症からくる過眠症だろうということだった。

 医者には、寝る前の二時間前にはお風呂に入る。寝る直前にスマホを見ない。寝る前に運動はしないで、ストレッチをする。毎日決まった時間に寝て起きる。昼寝は極力しない。三食きちんと食べる。人間らしい健康的な生活を心掛ける。

そうやって自律神経が整えば睡眠の質が良くなり、睡眠時間自体が短くなっても日中眠気に襲われるリスクが減るということだった。

こうやって上手く付き合っていくしかない。とのことだった。

全然納得がいかなかった。そんなことは学生時代に心掛けていた生活だ。今までの生活を否定したかった。もっと何か、上手く付き合うんじゃくて撃退出来るような凄い薬とかそういうのがあるんじゃないかとか、催眠術とかそういうのでもいいから、すがれるものを探していた。

 帰りの車の中、運転しながら母が何か言っていたけど、ウトウトして家に着くころには完全に寝ていた。

 その夜。夕食を食べると、いつものように父はその場に、寝転がり眠りにつこうとしていた。

「ねぇお父さん。お爺ちゃんとかお祖母ちゃんとか友達とか誰かに『寝すぎ』って言われたことある?」

 今まで父が一日トータルで十時間寝ていることを、仕事をしてきて疲れているから寝てしまうのだろうと思ってきたし、それが『普通だと思ってきたけど』病院で医者から、遺伝ではなく体質と言われてから、お父さんはどんな人生を送ってきたのか初めて意識した。

「お父さんのことみんな『寝すぎ』って言ってたなぁ」

「言われてどうしてたの?」

「別に、寝てたさ」

「成績が悪かったりしなかった?」

「お父さんがこんなに寝るようになったのは大人になってからだからだなぁ」

「そうなの?!」

 新事実だった。私は子供の頃から眠くてたまらなかったから、お父さんもそうなんじゃないかって勝手に思っていたけど、違った。

「今の会社に入ってからかなぁ、遅刻はしないように気を付けてるし、残業もちょっとしたりするけど、仕事に集中できないほど眠くなったりはしないよ。ただ家に帰ってきたら、お風呂に入って夜ご飯を食べて、よく寝ようって思って寝てるだけだよ」

「眠気が我慢できないとかそういうんじゃないの?」

「そりゃ、眠いから寝るけど、疲れをためないように寝て回復しようって思ってるだけだよ」

 ずっとお父さんみたいに私もよく寝るから遺伝かなって思ってたけど、医者には『そういう体質』といわれて、しかも、お父さんと私は症状は同じだと思ってきたけど、全然お父さんと眠りについての考え方も違うし、スタートラインも違くて、私は驚いていた。

「今日『過眠症』って言われたんだって?」

「うん。でも上手く付き合っていくしかないんだって」

「じゃあ、もう無理しないで仲良くやっていけるといいね」

 父は、そう言ってイビキをかき始めた。

 それから四年近く経った。

相変わらず私は十時間以上寝ないと寝た気がしなかったし、平均したらやっぱり最低でも十三時間は寝ていた。

この頃、私は、無理に起きることよりも、起きれている間に何ができるだろうと、考え方を切り替えていた。

一日たった五時間だけどアルバイトをしていた。それくらいしか出来なかった。アルバイト中は凄く集中していて眠くなることはなかったけど、家に帰ればご飯も食べずに相変わらず寝てしまうことが多かった。

この生活ルーティーンが上手く付き合うことになっているのかわからなかったけど、受け入れることは出来た。あとは理解してくれる人が一人でも増えればいいなぁと思うことしか出来なかった。

私の二十六歳が終わる。今までの人生、半分寝ていたし、もう半分は眠かった。

こんな私を生涯受け入れてくれる人を、婚活アプリで探していた。プロフィールの欄に『過眠症。平均睡眠時間十五時間』と書いておいた。

何人かの人とメッセージのやり取りをして、実際に会って『過眠症の私』を受け入れてくれそうな人を探したけど、なかなか難しかった。

「それ冗談かと思ってました。そんなに寝てて逆に疲れません?」とか言われたりしたし、「専業主婦になりたいってことですか?」と嫌な顔をする人もいた。

 やっぱり『普通の人』がいいよな。

 それでも諦められなくて、私はバイトをしながら婚活も続けた。

「十五時間寝て、起きてる間は何をしてますか?」

 十八人目の婚活アプリで出会った彼は、今まで婚活で会った人と少し様子が違った。

 パスタ専門店で、向かい合った彼は言葉や仕草の物腰が柔らかく、この人と仲良くなりたいなぁと思った。

「えっと、起きてる間はバイトに行って、あとは小説書いてます」

「小説。いいですね」

 いいのだろうか?肯定されたのは初めてだった。今までの人は小説を書くのが趣味と言っただけで「へぇ」と興味を持たれることもなかったから、そう言ってくれたのが嬉しかった。

「あの私『過眠症』なんですけど」

「そういえばプロフィールに書いてましたね」

「はい。でもそれ『上手く付き合っていくしかない』らしくて、治るかどうかわからないし、無理に起きてたりするとストレスで、今度は眠れなくなっちゃったりして……その、」

 生涯のパートナー探しに嘘で取り繕っちゃ駄目だ。

「もし結婚したら、起きてるときは家事とか頑張ります。正社員とかフルタイムで働くのは難しいですけど、短時間のアルバイトだったら出来ます。寝ちゃってて、行ってきますのキスとかお帰りなさいのハグとか出来るかわかりません。それから……」

 彼は黙っていた。

「それから……」

 私には出来ないと思っていたことを、言うのが少し怖かった。でも、聞いてほしかった。彼に知ってもらいたかった。

「私は、将来、子供を産んでも育てられるかわかりません。だって頑張っても起きてられない……から」

 彼は優しそうだし、子供も好きそうだから、この条件は厳しいと思ったかもしれない。やっぱり私には、過眠症には結婚は難しいんだろうか。

「あの、僕からもいいですか?」

「あ、はい」

「僕、子供、別にいてもいなくてもいいなって思っていて、まずは夫婦関係が上手くいけばいいかなって思うんですよ。それに僕、婚活しといて失礼かもしれないですけど、結婚しても一人の時間滅茶苦茶大切にしたいんですよ」

「はぁ……」

 ちょっと変わった人だなと思ったけど、なんだか凄く誠実に私に向かって話してくれていると思った。

「その『過眠症』って将来ガンになったり心臓発作を起こしたりしますか?」

「いえ……そうなるか関連があるかはわかりませんけど、私の場合、強い眠気と長時間寝ちゃうってだけで、多分そういう作用はないと思います」

 そんな副作用があるなんてことは病院で言われなかった。

「じゃあ問題ないですから気にしなくてもいいんで、気にしないいでください」

 気にしなくてもいい。そんな風に思ってもらえた人に出会うのは、人生初だと思った。

 いつも食事をしたら終わってしまう今までの婚活初デートと違って、初めてその後「この後、映画に行きませんか?」と誘われ、彼と二人で映画館に行き映画を見た。

 私は眠気に襲われ途中から寝てしまい、映画が終わってから彼に謝ると、笑いながら映画のオチを教えてくれた。

 この日からちょうど、半年後。私は彼と結婚した。

【過眠症生活】

 夕方の四時に目が覚める。夜ご飯を作って彼の帰りを待つ。帰ってきた彼と夜ご飯を食べて、お風呂に入る。夜の七時くらいにはベッドに入って夜の二十二時に一度目を覚ます。明け方四時まで小説を書いたり漫画を読んだりする。そこから十二時間後の四時に目を覚ます。

 ちょっと昼夜逆転生活気味のルーティーンで生きているけど、私は今、やっと過眠症と上手く付き合っている。

 だけど、たまたまだ。

旦那さんがこの生活を受け入れてくれているから、上手くいってるだけだ。彼に出会わなければ、私はずっと過眠症と戦って、眠気と喧嘩していたと思う。

 だらしなくて、甘ったれで、理解されなかった眠気の正体が『過眠症』だとわかった今、出来ることは受け入れることと、受け入れてもらうことしかない。

 眠くて苦しい思いもしてきた。その積み重ねをして自分自身をやっと受け入れられた。そんな私を受け入れてくれる価値観を持った人にやっと出会えただけなんだ。

 過眠症と診断されなかったら、自分を嫌いになってしまっていたり、社会を憎んだかもしれない。

 この眠い気持ちと上手く付き合えるかは、自分だけの努力じゃどうすることも出来なかった。過眠症の私と出会ってくれて受け入れてくれた人がそばにいてくれているから、上手く付き合えているんだ。

「色んな人がいるよ」

 そう言って、ベッドに横になった私に掛け布団をかけ、彼は笑いかけてくれる。

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 彼が眠ることを許してくれたから、私はもう大丈夫だけど、きっとこの眠気に意味を持った名前がついていることを知らないまま苦しんでいる人がいる。

理解されることを願う人がどこかにきっといる。

だからせめて自分がたまたま幸せな夫婦生活を送ることが出来ていることに今日も感謝している。

今日も、彼が会社から帰ってきた時に「ただいま」と「おかえり」の代わりに「おはよう」と言いあっている。

電池が入っていない私の体内時計だけど、彼と一緒なら針を進めていける気がする、そう思いながらまた、何度も長い眠りにつく。

過眠症を理解してもらえた日々の訪れに、やっと幸せを感じられることも増えた。

でも、過眠症でよかったなぁと思うことはない。これから先も絶対にない。どんなに起きている時のパフォーマンス力が上がったとしても、その為に十時間以上も睡眠をとらなくてはいけないのは、絶対に人生を損している。

愛する人と過ごす時間が少ないのだって寂しい。

だからせめて、起きていられるときに人生を全力で楽しみたい。

楽しむべきだ。

「おやすみ」

 この言葉を一日に何度でも言える今を大切にしていこうと思う。

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