やっとわかってもらえたこの辛さ〜ナルコレプシー〜
作者:秋谷進(あきたにすすむ)
第1回ショートストーリーコンテスト応募作品「やっとわかってもらえたこの辛さ〜ナルコレプシー〜」
今の世の中は、自分が生きたいように生きる選択をすることができるようになりつつある。服装だって自由。性別による縛りもほどけ始めている。ネイル、化粧、脱毛などは誰がしても気にならない傾向が出てきて、違和感が減ってきた。ジェンダーレスの問題だけではない。昔は、できないことがあった時、自己の中で葛藤があった時も、他人のことを真摯に考えてくれる味方がいなくて、苦しみながら毎日を過ごしていたものが多かったと思う。
どうして自分は他人ができることができないのか、どうして我が子は他の子と違うのか、そういう悩みを抱えた人は辛い。そんなとき、周りに自分の体のこと、心の中のことを理解してくれる人、どんなことがあっても自分が守ってくれる、包んでくれる人がいること、そのことで多くの人は救われてきたのかもしれない。
こんなに科学が発達して、いろいろな情報が手に入るようになっても、人の心や人の体は、まだ未知の領域が多い。どうしてその人間がそのような状態になっているのか、そのような言動をするのか、原因がわからないことで、周りから理解を得られず、心を刃物でズタズタに切り裂かれている人間が数多くいることを忘れてはいけないと思う。
この物語は、周りの者が無知であったために、心を鬼深く傷つけられ、苦しみ、もがき、一時は暗闇の底に落ちたが、自分の理解者と出会い、自分の病名を知ったことで、それと真剣に対峙して病気を克服しようと頑張る決意をした少年の話である。
横田隼人は、誰もが羨む、恵まれた家庭で育った男の子だった。両親と兄の4人家族で、大きな庭のある一戸建ての家の次男として生を受けた。父は外科医、母は看護師で経済的にも裕福。兄も有名私立中学に通い、トップの成績を収めていた。隼人も幼い頃から非常に成績優秀で、受験対策で塾にも行っていたが、それほど必死で勉強しないとついていけないタイプではなく、有名私立中学を受験しても楽々受かる学力を持ち合わせていた。
小学校は、地域の学校に通っていたが、ガリ勉という感じではなく、とても社交的で、クラスの役員なども買って出て、いろいろなことで活躍する子どもだったので、友達からの信頼も厚かった。スポーツも得意だった。体を動かすことが好きなので、休み時間になると、真っ先にボールを持って運動場に飛び出していく、子どもらしい快活な少年であった。
そんな隼人だから、バレンタインデーには毎年何人もの女子からチョコレートをもらい、そこそこモテている自覚もあったが、それにおごることなく、誰にでも思いやりを持って接しているところが男の子たちからも支持される要素となっていた。
六年になったらさすがに、中学受験勉強に放課後の時間を割かないといけなくなった。目指すは、日本屈指のトップ大学への合格者数が多く出している空開学園。ここに入学すれば中高一貫で、高校三年までの六年間のハイクラスな授業が約束されるのだ。兄もこの学校に通っていた。三才違いなので、隼人が入学すると、兄は高等部に進むため、校舎は離れてしまうが、大好きな兄と同じ学校に通うことができると思うと、隼人はその学校しか受けたくない気持ちだった。
年末は年明け早々に行われる受験に向けてラストスパートをかけないといけない時期。いつも明朗快活な隼人もさすがにナーバスになっていた。クラスには他にも中学受験を控えている子はいたが、隼人が目指しているのは最高峰の中学。隼人の実力は塾の先生も太鼓判を押してくれているが、受験は魔物。当日まで何があるかわからない。油断なく準備しないと何に足をすくわれるかわからないと、緊張していたのだ。
ところが、二学期の終業式の日、隼人にとって、特別嬉しいことがあった。隼人が、密かに「かわいいな。」と気になっていた級友の優美から、周りに誰もいないのを見計らって、こっそりとクマのイラストの書いた封筒を渡されたのだ。
「隼人君、受験がんばってね。」
と優美は頬を真っ赤にして、にっこり笑った。
「これ、近くの春日神社の合格お守りなの。受け取ってくれる?私、応援してるよ!」
と優美は言った。
「ありがとう!」
隼人は満面の笑みで優美にお礼を言った。家に帰って丁寧に封筒を開けると、中には
「絶対合格!応援してるからね! 優美」
と書いた自筆のメッセージも添えられて、お守りが入っていた。気になっていた女の子から合格祈願お守りをもらったことで、隼人のテンションは高まった。
受験の日も、家族からもらったお守りと一緒に優美からのお守りを忘れずに会場に持っていった。そして、「優美ちゃん、頑張るヨ!」と心の中で言いながら、受験に挑んだ。空開中学は、その地方でも有名な文武両道の進学校。全国からの受験者があり、倍率も髙かったが、隼人はそこに見事に合格した。
隼人の学校で、その中学に合格した子は今までいなかったので、先生たちからも
「さすがだなぁ。」
「中学に行ったら、上には上がいるから、油断しないでがんばってくれよ。」
などと温かい祝福の言葉をもらった。級友達もとても喜んでくれた。隼人の人柄から、妬みなどを受けることはなかったことと、空開中学のレベルの高さは、級友達の想像を超えていたからだ。
優美には、お礼のお手紙にかわいいくまのストラップとを添えて、卒業式の日に渡した。「ありがとう。優美ちゃんからのお守りのおかげで、行きたかった中学に合格したよ。」
とお礼を言うと、優美は、
「おめでとう!あの中学に合格するなんて。憧れちゃう。あのお守りのおかげって言ってもらえたら、それが嘘でも本当に嬉しい。だってね、私、本当に必死に『隼人君が合格しますように!』って神様にお祈りして、あのお守りを授かってきたんだもん!」
と嬉しそうに笑い、その後
「同じ中学に行けないのは残念だけれども、同じ街に住んでいるんだから、これからも会えるよね!時々、お話しようね。」
と少し涙ぐんで顔を赤くして話してくれた。隼人は、そんなかわいい優美のことを大好きだと思ったし、優美も僕のことを好きだと思ってくれていると感じ、幸せな気持ちでいっぱいになった。恥ずかしくて、このとき、優美に告白はできなかったが、別々の中学に進学しても、この関係が続くといいなと思った。
そんな風に、このときの隼人の前には、バラ色の未来が広がっているように思われたのだが、実は異変は、隼人は卒業間近の二月から少しずつ起こっていた。暗雲が立ちこめ始めていたのだった。
ちょうど中学受験の終わった頃から、隼人は眠気を感じることが多くなっていた。とにかく眠い。気がついてみると、何かをしているときにでも、眠ってしまうことがあった。その眠気は時間や場所にかかわらず、突然襲ってくる。突然強い眠気に襲われると、それにあらがうことができなくて、そのまま居眠りをしてしまうということが、一日に何回かあった。
そんなふうに日中、断続的に寝てしまうせいか、夜は朝までぐっすり眠ることができなくなった。夜中は二時間おきに起きてしまう。多い時には、通算すると一晩に十回以上起きている状況にあった。あまりにも夜に起きてしまうので、親に相談すると、
「小学生が夜にぐっすり眠れないなんて事はないよ。」
「受験が終わって受験の束縛から気持ちが解放されたからじゃないのか。」
と笑って、取り合ってくれなかった。でも、昼間寝ている状況も目にしたので、念のためにと近くの小児科に連れて行ってくれた。
幼少時からのかかりつけだったその医院では、隼人の話を聞き、
「日中寝ないようにしないと、夜に起きてしまうよ。昼に寝ないようにしなさい。人間には、適度な睡眠時間というのがあるんだ。昼起きていたら、自然と夜はぐっすり眠れるようになるよ。きっと、厳しい中学受験を征したから気が緩んでいるんだよ。心配ない、ない。」
と一笑に付された。
症状は、よくなることがなかったが、憧れの空開中学に入学すると、気が引き締まった。青の五つボタンの学ラン制服は、通学電車の中でも人目を引き、「あの子、空開の生徒ね。」と、注目を浴びるほどであった。隼人は、入学考査の成績で決められる能力別クラスでも一番上のクラスとなり、そのクラスの中でもさらに成績が優秀であったため、学級委員に推薦で任命された。優秀な中学の中でもさらに優秀。隼人のもつ力は、それほどだったのだ。
親からも、周りからも、「これからが楽しみね」と期待されて、中学校生活を始めたのだったが、中学に入学してからも、突然強い眠気に襲われる症状はなくならず、それが隼人を苦しめた。授業中もしばしば寝てしまうことがあったからだ。空開中学の授業レベルは高い。ちょっと気を許すとどんどん先に進んで行ってしまう。そんな中で、授業中居眠りをする生徒がいるなんて、信じられないことだった。しかも特進クラスで。
「きみ、自分はこの程度のこと、教えてもらわなくてもわかっているから、つまらない授業なんて受けても仕方ないと馬鹿にしているんだろうなぁ。すごいなぁ。僕たちは授業についていくのに必死なのに。」
などと、級友から皮肉半分に冷やかされることがあった。隼人が授業中眠ることは目立っていたのだ。。
困ったことは授業以外でも起きていた。隼人の通う空開中・高等学園は文武両道として名を馳せている進学校なので、どの生徒も、勉強だけでなく運動も力を入れていた。頭でっかちの人間には健全なる魂は宿らないという創始者の考えにより、運動にも力を入れていたのだ。
隼人は運動神経抜群で、体の動かすことも大好きだったから、この学校の校風に自分は向いていると思っていた。空開中・高等学園では部活動にも力を入れていて、各運動部は、全校大会レベルでも好成績をたたきだしていた。部活動で自学の時間が減って成績が下がるなんて、考えもしない。世の中には、どんなことも少しの努力で確実に結果を出す何でもできる優秀な人種がいるのだ。それを感じさせるような学校だった。
隼人は陸上部に所属した。走ることには自信があったし、ハードル走も、走り幅跳びも高跳びも人より頭一つ抜きん出る記録を出す身体能力があった。チームで戦うスポーツもいいが、陸上競技は自分の持っている身体能力をいかんなく発揮できるところが好きだった。
ところが、大好きな陸上競技の練習の時でさえ、眠気が抜けず、部活の最中に、突然眠ってしまうことが起きてきた。部活動では、先輩後輩の上下関係が厳しいと言われるが、特にそれは、運動部ならなおさらである。先輩が走っているときに机にもたれて眠ってしまうことが何度かあって、部活顧問からきつめに注意を受けた。親しくなった部活友だちに、自分が急に眠気に襲われると言うことを告白したが、友だちは「そんなことってある?寝不足じゃないの?」とほとんどノーリアクションという感じだった。たまたまその話を横で聞いていた先輩も、
「お前、部活どころか、授業中も寝ているそうじゃないか。夜しっかり寝て、昼はきっちり起きて、授業を受けて、部活も頑張らないとだめだぞ。」
と助言してくれたが、隼人は、そんなこと言われなくても自分が一番わかっていると思い、気持ちが暗くなり、だんだんクラブにも足が向かなくなった。どことなく体調がすぐれないこともあり、部活を休むことが増えてきた。
「あいつ、学校には来ているくせに、部活には出ないんだぜ。」
陸上部員を中心にそんな陰口を言われるようになっていった。部活顧問から、担任に報告があったころには、居眠りの長さも回数も増えていた。授業中に突然机に突っ伏して20分位寝たり、気分が悪いと保健室に行き、熱もないのに、保健室で寝たりすることも多くなったので、「サボりじゃないのか」と思われた。担任が両親を学校に呼び出して、現状を報告し、家庭でも改善に向けて努力するように、伝えた。
当然両親から厳しく怒られた。家でも日中寝ていることがあったが、学校で寝ていないのか尋ねると、隼人は、否定していたので、それを信じていた。しかし、授業中も何回も居眠りをし、部活の最中まで寝ていたという話にひどく驚いて、父親は隼人の顔を殴った。このときから、家でも隼人の根性をたたき直さないとだめだと思われてしまい、家族から暴力を受けるようになっていった。
日中寝てしまうことを解決するために、早く寝るように言われ、隼人自身も夜しっかり寝るように、昼間眠たくならないように、努力をしたが、眠気が収まることがなかった。進学校があるがゆえに、生徒の気持ちに寄り添うという部分が欠けているのはしかたのないことだったのかもしれないが、教師達は教師たちで、入学してきたときにはあんな優秀な生徒だったのだから、なんとかして勉学に気持ちを向けさせようと、話し合った。対策として、寝たら廊下に立たせたり、寝たら、罰としてたくさんの課題を出したり、時には寝ている隼人に体罰を与えたりすることになった。学校としても、優秀な生徒ばかりが集まる学校なので、「あの学校に通ったからこんなことになった」と変な噂が立つことはどうしても避けなければならなかった。それで、なんとか、体裁を保ちたい、といろいろ行き過ぎと思われる叱責をしたりすることが多くなった。
教師がそのような態度だから、最初成績優秀で、皆から一目置かれていた隼人はやがて中傷の的にされるようになった。
しかし、どんな場合にも救世者はいる。隼人も地獄のような学校生活の中で、その子達に救われた。いや、それには語弊がある。決して、隼人の気持ちを考えて優しい言葉をかけてくれたり、励ましてくれたり、一緒に悩んでくれたりした級友がいたわけではない。隼人を癒やしてくれたのは、隼人の行動に疑問をもったり批判をしたりしない、つまり隼人に何も感じなかった子ども達だった。
優秀な子どもの中には、周囲の言動に左右されない子もいる。自分は自分だから、相手がどんな状態であっても、自分のことを優先する。プラス、相手にも攻撃をしない子がいるのだ。勉強は恐ろしいほどできるのに、人間関係の構築が難しいタイプの子が存在する。人はそういうのを「空気が読めないやつ」と決めつけることがあるが、それは決して悪いことではないと当時の隼人には思えた。
エリートばかり集まる上位校にはクラスに何人か、そういう生徒がいた。以前は隼人はそういう人間が苦手だった。発達障がいのある子の中で、自分のこだわりのあること以外には全く興味を示さないという特性がある子がいる。学友の中にもそういう子がいて、コミュニケーションがうまくとれないので、隼人はいらつき、そういう子とふれ合ったり、グループ活動をしたりするのが苦手だった。なのに、今ではまるで逆になっていた。周りの目が冷たくなるほど、隼人が寝て起きた時に、何事もなかったように接してくるその子たちに癒されるようになっていた。
授業に集中できないので、成績もどんどん落ちていった。寝不足のため目の下にクマができ、形相も変わっていった。青の五つボタンの学ランといえば、周囲の憧れの学校なのに、目の下にクマを作り、生気なく下を向いて通学している隼人とすれ違った人たちは、もうかつてのような憧れの目で彼を見ることはなくなっていた。
そんな風に首の皮一枚つながっているような状態で学校に行き続けていた隼人だったが、何もしないで手をこまねいていたばかりではなかった。学校からも隼人の状態の報告の電話が入るし、親としても力でねじ伏せてばかりでも解決しないと思って、さすがに両親も、もっと大きな病院で検査した方がいいと考えて、隼人を総合病院小児科に連れて行った。しかし、結果はやはり「特に異常は見られない」。「自己管理が甘いだけ。」という診断だった。
でも、父も医者。セカンドオピニオンの大切さはよくわかっている。それで、後日大学病院小児科も受診させた。ここでは、初めて、病名が医師の口から出た。朝起きてもぼーっとしていると言う症状から、自律神経の問題があるのではないかと判断され「起立性調節障害の疑いがある」と言われたのだ。
「起立性調節障害」とは、自律神経系の異常で循環器系の調節がうまくいかなくなる疾患であり、小学校高学年~中学生に多く見られる病気である。年齢的にも隼人と合致していた。立ち上がった時に血圧が低下したり、心拍数が上がり過ぎたり、調節に時間がかかりすぎたりして、だるさやめまい、頭痛がひどく、朝起きられない症状が出る。この疾患は自律神経疾患なので身体的要素以外に、精神的、環境的要素も関わって起こると考えられているため、隼人の場合は、有数の進学校に進んだため、ストレスをため込んだのではないのかと診断されたようだった。この病気は、体の病気であり、本人が頑張ればどうにかなるということではないと言われたのが唯一の救いだった。親も、隼人の症状の訳は「気の緩み」ではなかったことが少し嬉しそうに見えた。近頃クローズアップされてきた病名がついたので、「ああ、病気のせいだったのか。」と心がそこに着地して、ほっとしたように見えた。
正しく対応すれば、この病気は、体の成長と共に症状が軽減してくる。そのため、隼人は起立性調節障害を治癒する目的で服薬を始めた。学校にもそのことを報告したので「横田君は自律神経疾患だった。」と級友に報告されて、以前よりからかわれることは少なくなった。
でも、それは一時だけの問題だった。通院を続け、血圧上昇の薬を半年飲んでも、症状は改善せず、相変わらず眠気が襲ってきた。隼人はネットで起立性調節障害について調べ、血圧も問題はなく、朝だけ症状が起きるのではないから、自分は起立性調節障害ではないとわかった。そのため、これ以上この薬を飲んでも無駄だと思い、通院は自分の判断で止めた。
ある日の診断で、発達障害があるのではないかと言われ、知能検査もした。アスペルガーかもしれないと言われたけれども、両親はそれに対して反応しなかったし、アスペルガーの子は小学校にもいたので、隼人自身もそれは違うと思った。念のため、自分で調べてみて、自分と症状が違っていたので、アスペルガーではないと自己診断をした。結局、医者も心理士にも、自分が困っているこの症状を正しく診断してくれない。「気持ちの問題」だけで片付くほど、簡単な状況ではない。誰でも頼れないと隼人は思った。
しかし、そんな風に自己診断してしまう隼人のことを両親も兄も快く思っていなかった。病院に連れて行ってやっているのに、たいていの病院では「生活習慣の乱れで、眠気がでている」という、隼人の生活の乱れや気持ちの問題と診断され、病名がついても、隼人が「その病気ではない」と勝手に判断して、服薬を止めてしまう。どうしようもないわがままなやつだ、と家族から疎んじられていった。
さらに病院を転院したが、どこに行っても、原因がわからず、従って、自分の困りごとがなくなることはなかった。
そんなふうに苦悩の日を送っていた中学二年生の秋、小学六年の時の担任が結婚するという話を知った。そこで、教え子みんなでサプライズお祝いビデオを撮ろうと言う話が中学校で出たそうだ。保護者の一人、田中さんのお父さんが、仕事で動画撮影を扱っているので、田中さんに協力を仰ぎ、近くの公園に集まって、当時のクラスの子ども達が一言ずつメッセージを言い、最後にみんなに先生に贈る歌を歌おうという計画が立てられて、その話が地元の学校に通っていない隼人にも届いた。電話をくれたのは、小学校の時一番仲の良かった浩二だった。地元の中学に通わず、電車で違う中学に通っているので、通学時間帯も違っていたから、同じ街に住んでいながらも、なかなか小学校の同級生に会う機会はなかった。ましてや中学に入学してからは、眠気との戦いで、毎日が学校に行くだけで精一杯で、小学校の時の友達と連絡をとることがなかった。
浩二は、
「久しぶりに隼人の声を聞けて嬉しいよ。なんせ、おまえ進学校に進んだからさ、勉強に忙しいだろうと思って、俺から連絡するのを躊躇してたんだ。話に聞いたら、空開中学って、夏休みもろくになくて、ずっと補習があるんだってな。中学二年間でだいたい中学校の内容を全部終えて、高校の勉強を始めるそうじゃないか。どんな感じなんだろうって、いっぱい想像しちゃってさ。話を聞きたかったんだよ。」
隼人は時間がまき戻ったような感じがした。そう、小学生の時の自分は、勉強も好きだったけれど、何事にも積極的に取り組んでいたので、遠足の実行委員になったり、転校生のお別れ会の司会をしたり、あー林間学舎の時はキャンプファイヤー委員もしたりしたなぁと、楽しい思い出がよみがえってきた。あー楽しかったよなぁ・・・・と楽しい思い出がいっぱい思い出されてきた途端、急に顔の筋肉がこわばって自分の意志では動かなくなった。浩二とその話をしようとしたが、言葉らしい声が出ない。意識ははっきりしているのに、話せなくなってしまった。
「おい、隼人?どした?何かあった?
慌てている浩二の声が電話口から頭に響いてくる。「だめだ、ちゃんと話をしないと」と思っても、言葉にならない声だけが口から漏れていった。
「あれ?電話機の故障かな?おーい、おーい!おかしいなぁ。変な声が聞こえる。隼人?大丈夫か?隼人に何かあったのか?おーい、何かしゃべってくれよぉ!隼人!はーやーとー!」
しばらくすると、急に意識がはっきりした。なぜそうなったのか、自分のことでありながら、わからなかった。でも、親友の浩二からの電話中に、脱力して、力がぬけたことだけはわかった。
「ご、ごめん!!」
隼人が謝ると、浩二は
「よかったー。突然隼人がしゃべらなくなって、なんだか変な声のも聞こえるし、電話が急に壊れたのか、それとも隼人に何かあったのかと思って、心配したぞ!めちゃくちゃ何度もよびかけてたんだぜ。あー返事してくれてよかった。」
と浩二は、電話が再びつながったことを喜んでくれた。こんな嬉しい大事な電話の最中に僕は脱力してしまったのかと隼人は自分でも、ヤバイ状態だと思った。それで、隼人は浩二に自分のことを告白する気持ちになった。
「実は、僕は・・・・。」
隼人は、自分の今の状況をありのままに浩二に伝えた。浩二は真剣に話を聞いてくれた。
「そうだったのか。でも、今は寝てたんじゃないんだろ?急に言葉が出なくなっただけだったんだね。それにしても、急に寝てしまうっていうのは困るよなぁ。でも、病院にも行っているんだから、ちゃんと治療できると思うよ。おまえのお父さんお医者さんじゃないか。たしかお母さんも医療従事者だろ?大丈夫だよ。気にするな。それより、先生のサプライズビデオ撮影の時は忘れるなよ~。」
浩二は、自分が電話の途中で脱力して反応しなかったことを責めなかったばかりか、励ましてくれた。小学校時代の親友浩二の優しい言葉に隼人は救われた気持ちになり、電話を切った後、ビデオ撮影の日をカレンダーに書き込んだ。
隼人は、その約束の日曜日、久しぶりに友達と会えることに心を躍らせていた。体調を心配した浩二が家まで迎えに来てくれた。一年半ぶりにあった隼人は、げそっとしていて、目の下にクマがあって見た目が大きく変化していたので、浩二が一瞬息を飲んだのが隼人にはわかったが、浩二はすぐに小学校の時のような人なつっこい話し方で話しかけてくれたので、すぐ気持ちをとりもどすことができた。そして、二人で、待ち合わせ場所の公園に出向いた。予定の時刻より早めに公園についたが、既にたくさんの同級生がいて、あちこち固まって話をしていた。浩二が
「おうい、みんな!隼人だぞ。横田隼人が来たぞ。」
と周辺の子に隼人が来たことを紹介した。
「お~隼人かい。久しぶりだなぁ。元気にしてたか?」
と声をかけてきてくれた子もいたが、隼人が目の下にクマを作っている状態だったので、その顔つきをみて、小学校の時の快活な、男女ともに人気の高かった隼人とは別人のように変化していたため、とまどって、話しかけずに遠回しに隼人を見ている子の方が多かった。
隼人は、自分の見た目が病的であることは自覚していたが、優美に会いたかった。卒業してから、体調が悪くなったことも手伝って、スーパーやコンビニに買い物に行くこともほとんどなかったから、優美に会うのは、卒業以来初めてだった。隼人は、優美に会うことがとても楽しみだったので、何を話そうかと何日も前から話す内容を考えていた。浩二はそんな気持ちを知ってか知らずか、
「あ、あそこにおまえのことを好きだった坂根優美がいるぞ。話しかけてやれよ。」
と、公園のベンチの前に立っている優美を見つけて、弾んだ声でそう言った。
いた!優美だ。久しぶりに会った優美は、髪の毛を少し伸ばしていて、頬もつやつや輝いて健康そうで、小学校の時よりとても可愛くなっていた。隼人は手をひっぱられて優美の前に立った。浩二が
「おい、坂根、隼人が来たぞ。」
と優美に声をかけた。優美が振り向いて隼人の顔を見た。話そうとしたとき、隼人はものすごくドキドキして急に体がだるくなった気がした。
それでも、頑張って声をかけようとしたら、
「え?隼人くん?横田くんなの?」
優美が隼人の顔を見たとたん、隼人は脱力した。優美の声ははっきり聞こえているのに、立っていられなくなり、浩二に支えられて、側のベンチに座らせてもらった。優美は、隼人の風貌の変化に気づきながらも、
「横田くん、卒業以来だね!元気にしてた?」
と引きつったような作り笑顔で、話しかけてくれたが、隼人は話をしたいと思っても、言葉が出なかった。先日の浩二との電話の時のように、言葉にならない声が口からもれただけだった。優美は怯えたように目を見開いて顔を見つめ、驚いていたが、何度か話しかけていた優美の服を、隣にいた女の子がひっぱった。
「優美、あっちに真由がいるよ。話しに行こう。」
その子は、遠回しに優美に隼人から離れようと誘ったのだ。それで、優美は隼人に話しかけるのを止めた。そして、彼女は、隼人に背を向けた。その時、優美が「気持ち悪い」とつぶやいたのがはっきり聞こえた。そのまま優美は、一緒にいた女の子と真由と呼ばれた級友の方に走っていった。背中を向けた優美が背負っていたリュックサックには、隼人が合格お守りのお返しにあげたくまのストラップが付けられていた。そのストラップが遠ざかっていく優美の背中で揺れていた。隼人は、拒絶されたと思った。
その後は覚えていない。脱力して浩二にベンチに座らされていた。一人ずつのお祝いコメントのビデオ撮影が始まったが、隼人は立つことができなかった。そして、そのまま、いつのまにか、しばらく眠ってしまったのだと思う。目がさめたら浩二が横に座っていて、他の友だちの姿はなかった。
「大丈夫?隼人?」
と浩二が心配そうに声をかけてきた。そして、隼人が眠っていた間のことを説明してくれた。
隼人が倒れ込んでベンチに座ったときにはそのことに気づいた者は少なかったけれど、ビデオ撮影が始まって、そろそろ隼人の順番が来るというときに、隼人が寝てしまったので、辺りは騒然となった。具合が悪いと思い、救急車を呼ぼうとした者もいたが、浩二が制した。
「大丈夫だと思うから。隼人は寝てるだけだから。」
だいたいの子達は同じ中学に通っているけれども、中学では授業時数も多く、放課後はクラブもあるので、改まって話す機会もなかったから、小学校の同級生たちは、気分が高揚していて、笑顔いっぱいで話していたのに、そんな楽しい空気の中、隼人が眠ってしまったというのを聞いて、ひどく驚いていたという。
「寝てるの!?まじで?なんでこんな状況で寝てるの?」
「隼人は、有名な進学校に行っているから、毎日勉強が大変なんじゃないの?」
「こんな露骨に、俺たちの前で寝るなんて、『俺は疲れてるんだよ。お前たちの相手なんてしてられないよ。』とでも思ってるのかな?」
と言うような言葉が飛び交ったそうだ。優美も遠目でその様子を見ていたらしい。
浩二は隼人から事情は聞いていたが、詳しく話すのもはばかられ、でもこのままでは、隼人の悪口で終わってしまうから、何か説明しないといけないと思い、
「『隼人は今自律神経の病気で、薬を飲んでいるらしいんだ。その薬の副作用で夜しっかり眠れなくて、昼間急に眠くなったりするらしい。でも、すぐ治る病気らしいから、心配しないで。ねぇ、田中さん、今は隼人、寝ちゃってるから、起きたら、田中さんちにいくから、そこで隼人だけ別撮りしてもらえるように、お父さんにお願いしてくれないかな。』と言ったら、田中さんは快諾してくれたよ。『他にも今日部活の大会で参加できない子がいて、元々その子たちは別撮りすることになっているんで、気にしなくていいよって。」』
と、みんなに説明しておいたと教えてくれた。するとみんな、すぐに納得してくれたそうだ。「小学校の時のイメージがいいからな、お前はすぐ信じてもらえるさ。」
と浩二は笑った。ありがとう。その答え方、ベストだよ。神だよ。と隼人は思った。
「それにしても、本当に急に寝てしまったから驚いたよ。電話で話は聞いていたけれど、実際目の前で起きると、脳が混乱しちゃった。ははは。やっぱり進学校の勉強大変なの?」
笑いながらも心配そうに顔覗き込んでくる浩二を見て、隼人はやり切れない気持ちになった。
「みんなと会える事はとても楽しみで、会ったらみんなに会っていなかった1年間の話をいっぱい聞きたい、いっぱい話したい!そう思っていたのに、僕はやっぱり寝てしまった。昨日だって今日のために早く寝たのに。睡眠の時間の長さじゃない。それならたっぷり睡眠時間は取れているはずだ。なぜなんだ。」
心配してくれた浩二に家まで送ってもらって、とぼとぼと帰路についた隼人だった。
優美のことは、たしかに大好きだったと思う。でも、それ以降、隼人は恋愛らしいことをしていない。特に、「急に寝てしまう」というコンプレックスから、異性と関わることに非常に恐怖を覚えて、自分から壁を作っていた。異性の友人も恋人もできたことがないまま、年を重ねていった。
また、自分の性格は、極端な受け身になったと感じていた。いいように言えば、なんでも許せる温和な性格に。悪いように言えば、とにかく何に対しても興味がなくなった。自分が何が好きでどういう好みなのかもよくわからず、過ごしていた。空っぽな人間だな、僕は・・と嫌になることもあった。
授業中寝ることは多く、勉強の能率が上がらず、自分本来の実力が発揮できないということはあっても、目が覚めたら頭の中はすっきりして授業に集中できたので、成績は低空飛行しながらも、なんとか進級できた。
しかし、中三になって、授業中に寝てしまう態度が悪いと評価を受け、中高一貫の学校ではあるが、高校への内部進学はこのままでは難しいと担任から、話をされた。
「どうして君は、授業中寝るんだ?起きている時はあんなに聡明に問題を解けるし、友達関係も特に問題があるとは思えない。授業を馬鹿にして眠ってしまっていると、どの先生からの評価も悪い。それさえ直せば、内部進学も可能だと思うから、改めなさい。反対に、改めないのであれば、高校は、空開高等部への進学はできないから、どこか別の高校を受験しなさい。」
と冷たく言い放たれた。
もともと優等生であったために、隼人はとても傷ついた。中学入学が決まった時、これで高校三年生までは安泰だと胸を撫で下ろしたのに、高校へ内部進学できないなんて、僕の人生は終わるんだろうか。
自分の症状が落ち着かないので、隼人はいつもイライラしていた。
「おい、横田、おまえ掃除当番だぞ。忘れるなよ。」
と級友に言われた時、彼は、特に他意なく教えてくれただけだったのに、
「どうせおまえは、また寝てしまって掃除しないんだろう?みんなおまえが寝てしまってやらないことが多いから、肩代わりしてやってやってることが多いんだよ。おまえは迷惑な存在なんだ。」
となじられたような気がして、その友だちの胸ぐらをつかみかかったこともあった。しかし、そんなふうに興奮すると力が抜けてその場で椅子に倒れ込んでしまうことが多くなってきていて、その時もそうなった。胸をつかまれた友だちは
「なんだよ、掃除当番を忘れるなよって、教えてやっただけなのに。つかみかかっておいて、殴られるかと思ったら、すぐやめるなんて、訳わかんないやつだ。」
と呆れて、そこからは隼人と関わらなくなった。そんな風に、イライラがちょっとした友達の言動で爆発して、友達に食ってかかる回数が増えていき、中学での友だちはどんどん減っていった。
家では、病院を変えても診断は特に変わらず、服薬も勝手に止めてしまった隼人に対して、冷たくあたるようになった。本当につらかったのは、大好きだった家族からの仕打ちだった。 検査をしても異常がなく、医学的に説明がつかないから、単に不定愁訴だと結論づけられ、「おまえがだらしないからそうなった。」
「うちの血を引く子供とは思えない。」
とまで思われているようだった。
隼人は、食事中でも眠気に襲われ寝てしまうことがあった。その時に急に隼人が寝てしまうので、母も兄も、
「隼人、食事中に寝るなんて何事?早く起きなさい!」
と言って肩を叩いたりひどいときには蹴ったり暴力を振るうことも多くなっていた。
しかし、食事中、寝なくても箸を落としたり、皿を落としたり、力が入らなくなることも頻発していた。そのたび、行儀が悪いと叱られたが、また何か叱られるに違いないと思うと、家族と食事をすることさえ、おどおどしてしまって、気持ちが高ぶると、よけい落としてしまう悪循環だった。すぐ拾おうとしても力が入らなくて、また「ごめんなさい。」も言えない。そのことで、最初はよく叱られたが、やがて、家族もそのことにふれなくなり、黙って隼人の落とした物を広い、隼人の前に置くだけとなった。家族と食事をしていても孤独だった。
最初は、夜何回も起きると言う隼人の訴えを聞いて、病院に連れて行ってくれていた両親も、
「お前の気の緩みが、昼の眠気を誘ってるんだ。お前のは、惰眠をむさぼっているというのだ。目をつむりそうになったら、指でこじ開けろっ!」
と言うようになっていた。
授業では寝ることが続いていたが、運動は好きだったので、休みがちではあったが、クラブに行くと楽しかった。元々クラブから遠ざかった理由は、クラブが嫌だったからではなくて、楽しいはずのクラブの最中に寝てしまうことを責められるのが嫌だっただけだからだ。能力は高いので、練習ではかなりの良い記録を出すことができるのだが、中学3年になった時、陸上記録会でスタートとともに膝が震えて脱力してしまうそのまま走れなくなってしまうことがあり、その時は相当なじられた。体操とかストレッチとか待ってる時間とか移動時間とかは寝てしまうことがあった。そのあとは練習のとき、スタートしたのにそのまま眠りについてしまうことも出てきた。クラブにも価値を見いだせなくなり、クラブは自主退部した。
そんな中でも隼人は何もしていなかった訳ではない。どうしても昼間寝てしまう分、夜中に起きたときには、眠れないので、その時に勉強しようと思い立った。それで勉強も続けていたのだが、学校での授業中寝てしまうことが続くと、自分だけの勉強ではなかなか理解できない内容も増えてきて、夜目が覚めたときに勉強するのもだんだんやる気を失っていった。それで夜目が覚めたときにはそのままゲームをするようになっていた。
中学三年の秋にはもうどうなってもよいと自暴自棄になってしまい、やる気が全く起こらなくなり、学校に行けなくなってしまった。
この頃になると、顎の筋肉を動かすことすらも一苦労だったときもあり、そういうときはなかなか喋れないのもあり、クラスのみんなとは完全に距離ができていた。無視されていた。
移動教室の時にも置いていかれて、廊下で一人何回も倒れながらの移動になった日もあった。そんなときでも、あの「空気を読まない」周りの人のことを全く気に留めない級友達が、手を貸して起こしてくれたのは隼人にとって嬉しいことだった。もっとも、起こしてくれたあとは、その子達は、声をかけてくれるわけでも心配してくれるわけでもなく、そのままスタスタ移動していってしまうのだけど。他の級友は
「横田の倒れ方、気持ち悪いよな。」
と言っていたのに対して、少なくとも手を貸して起こしてくれる級友は、「気持ち悪い」と言ったこともなかったから、隼人のことを別の意味で理解してくれていたのかもしれない。
不登校になって時間を持て余したので、ゲーム三昧。なのに、楽しいはずのゲームの途中で、興奮すると脱力してしまう。居眠りをするというのは、話の内容が面白くないとか、興味がない時に起こる現象だと思っていたが、自分の場合は勉強も嫌じゃなかったし、何より楽しいゲームをやって、うまく敵を倒して良い場面になって興奮すると脱力し眠たくなるので変だなぁと感じていた。
「どうせ学校にいったって授業中寝てしまうから。」
内部進学が不可となったので、高校に行くためには、他の学校を受験しないといけなかったが、受験しなかったので、中学を卒業してからは、引きこもりとなった。自己管理をしていないと言われ、ゲームは親に取り上げられてしまった。
兄は同じ学校の高等部に通学していたので、隼人が中等部に入学したとき、先生達も
「弟がトップの成績で合格したらしいな。おめでとう。さすが、おまえの弟だ。」
と声をかけてくれていたので、その後の隼人の情報も中等部の先生達から高等部に伝わり、兄も担任から
「キミの弟は大丈夫なのか?もっと家庭でしっかりみてやれ。」
と言われることが増えたため、隼人に対して憎しみをもつようになっていた。「厄介者の弟」としか思えなくなっていたのだ。
兄は、だんだん弟をお荷物のように感じるようになっていた。特に兄は大学受験の時はナーバスになっていて、隼人が壁に貼ってある画鋲を虫に見間違えて叫んだとき、兄のたまっていた鬱積が爆発した。兄の自部屋から飛び出してきて、隼人に足払いをして転倒させ、隼人に馬乗りになり、
「画鋲と虫の区別もつかないなんて、おまえの能力は幼児以下なのか!毎日毎日騒ぎやがって、うっとうしいんだ!消えてしまえ!」
と、顔面をぼこぼこに殴った。母が気づき、身を挺して隼人を守らなかったら、隼人の鼻の骨は粉々に折れて、元に戻らなかったかもしれない。実際、隼人は眼球から出血し、しばらくの間白目が赤く、頬は親知らずを抜いたときのように腫れがなかなか引かなかった。
そんなことがあっても、親は、兄の行き過ぎた暴力からは守ってくれたが、兄を叱ることはなかった。兄が怒るのももっともだと思ったし、兄に犯罪を犯させたくなかったのだろうと思った。親自身も毎日のように隼人を叱責した。父には少しでも言い返そうとしたら、殴られるのが常だった。
「お前は怠け者だ!」
「あんな進学校に入れたのに、内部進学できないなんて、人間の屑だ!」
「気持ちの問題だ。甘えがあるから眠気が来るのだ。誰だってしんどいことから逃げたい。それと戦って生きているのに、お前だけが楽な方に逃げている。最低だ。」
などと毎日両親から罵倒され続けた。
ある日、電気をつけて寝たときに、隼人は急に錯乱した。世界が急に崩壊して、自分におそいかかってきたような気がした。怖くて恐ろしくて、泣き叫んで母を呼んだ。
「助けてママ!世界が壊れる!倒れてくる!」
大声で泣き叫んだので母がすぐに隼人のもとに飛んできてくれたが、
「何言ってるの?世界が壊れるわけないじゃない!だれも隼人なんか襲わないわよ!こんなに大騒ぎするんじゃない!私も疲れているのよ。静かに寝なさい!」
と、隼人を落ち着かせるために頬を何度も平手打ちした。
よく眠っているはずなのに、日常的にしょっちゅう眠くなるため、隼人自身も眠いという自覚すらあまり持たなくなってきた。本当にすっきりした状態を維持するのが普通なのか、眠っている状況と共存する状態が普通なのかが分からなくなっていた。前もって自分がもう寝てしまいそうだなと言うことがわかるのではないか、と考えてもみたけれど、そんな事はなく急に眠ってしまって、いつ寝るのか自分では予知ができない。空腹でも関係なく眠気が襲ってくることに、自分はもう立ち直れないのではないかという不安も加わって、家族からも冷たい目で見られ、とにかく何ごとに対してもやる気がなくなっていった。
兄は父と同じ医師を目指していて、医学部に通うようになっていた。隼人は自分もそのまま中高を空開学園で学んでいたなら、医学部を受験するつもりだったのになぁとぼんやり考えることもあった。兄と比べると自分がみじめになるので、同じ家の中で暮らしていても兄とは行動時間帯をずらして、顔を合わさないように工夫するようになった。兄もこのことには気づいていて、そのことを喜んでいるようだった。
高校にもいかず一年がすぎようとしていた。自室で引きこもって、外出もしない。ゲームもできない。食事も一日に一食するかしないかになったころには、隼人は横田家での存在感がなくなっていた。
その時、隼人の父が知り合いの医師に、お酒の席で
「こんな恥ずかしい話、誰にでも言える話じゃないけどな、私の息子の黒歴史を聞いてくれないか?うちの次男のこと」
と、自虐話として話したことから、事態が動き始めた。その知り合いの医師は、隼人の話を聞いて、
「横田さん、大変な苦労をされてたんですね。職場ではそんな苦労をされているなんて全くおっしゃらないから、知りませんでした。でね、今聞かせてもらった息子さんの症状、聞いたことがあるんですよ。もしかしたら、私の知り合いの小児科医なら息子さんの症状を軽減してくれる、いや、ちゃんと治療してくれるかもしれませんよ。彼ならきっと息子さんの力になれると思います。一度その病院で診察してもらったらどうでしょうか?」
と、ある小児科医を隼人の父に紹介してきた。それが、横田隼人と小児科医高山の出会いのきっかけとなる。
隼人は、もう十六才になっていたので、小児科の年齢ではなかったが、発症したのが小学六年の二月頃からということで、その症例は小児科でも扱えるということも事前に確認していた。父はさほど期待もしないで
「まあそういうことなら、一度次男を診てもらおうか。」
と軽く考え、知り合いの医者の紹介状を持って、高山医師の小児科に隼人を連れて行き、高山医師と引き合わせたのであった。それが運命の出会いとなった。
隼人は、もう何度もあちこちの病院に行って検査をしていたから、どこにも行きたくないと拒んだが、父が知り合いの医師から紹介されたから、一回は診察してもらわないと顔が立たんというので、重い腰を上げた。
まず高山医師は、小児科医らしく、にこにこと隼人を迎えてくれた。そして、丁寧に親からは小さい頃からの生活や睡眠の様子や病歴、その中で、今回の病気がいつごろから出てきたのかを聞き、どんな症状なのか、何が隼人を苦しめているのか、今自分が困っている症状を丁寧に聞いてくれた。隼人は、昼間、自分が寝ようと思っていないのに突然寝てしまうということを話した。
すると高山医師は
「それはいつ頃から始まりましたか?」
と症状が出てきた時期を聞き、まだ話してもいないのに
「急にがくんと力が抜けて、膝がガクガクする程度から、地面にくずれるように倒れたことはありませんでしたか?あったとしたらそれはいつから?」
など、隼人の症状を的確に当ててきたので、驚いた。
初回は、ほとんどが質問で終わり、
「睡眠管理表を記載しばらく記載して、次の診察に持ってきて下さい。次の診察の時、たぶん病名は、ほぼはっきりすると思います。病名がわかったら、検査をして、確定しましょう。よいお薬がいろいろあるので、どれを使ってどのように治療していくか、一緒に計画を立てましょうね。」
と睡眠管理表の書き方の説明をしたあと、高山医師は
「大丈夫です。私が責任持って最後まで寄り添いますよ。」
と笑顔で隼人を見たので、隼人はしばらく固まってしまった。
いつも病院に行ったら、問診した後、血液検査などの検査をし、
「何も問題ありませんね。気持ちの問題ですね。」
で終わることが多かった。「起立性調節障害」『アスペルガー』と二回診断名がついたことがあったが、それは自分が訴えている症状とは違う病気で、服薬もしたが、改善しなかった。 でも、目の前にいるこの医者は今なんと言った?「大丈夫です。」「私が最後まで寄り添う」そう言った。
その前には、「次の診察で病名もほぼ確定するだろう」
「一緒に治療計画を作ろう」
と笑顔で言った。それだ!!!!僕が聞きたかったのは、そういう言葉だったんだ!!!
隼人は、固まったまま身じろぎもせず、はらはらと涙をこぼした。高山医師はそれを見て、隼人の頭をぽんぽんと優しくさわって、
「この睡眠管理表、ちゃんと記入して持ってきて下さいね。次の診察をお待ちしています。」
とやはり、優しい笑顔でそう言った。隼人は父親に促されて、立ち上がり、こぼれる涙を拭こうともせず、目を開いたまま、口も開けたまま、黙って診察室を出ていった。
次の診察からは隼人は一人で来た。高山医師が
「今日はおうちの人は来ないんですか?」
と聞いたら
「仕事が忙しいから。」
とそっけなく隼人は答えた。この親子にはいろいろな確執があり、それが病気をこじらせているなと高山医師は感じていた。でも決してそれを言葉にも顔にも出さなかった。
約束していた睡眠管理表はきちんと書かれていた。几帳面な子だとわかった。高山医師は、隼人の睡眠管理表を見て、まず睡眠障害があることにすぐ気づき、とくに継続して寝ている時間は長くて2時間だけで、眠れていないということに着目した。前回聞き取った症状からも、それはある病気であることを明確に表していた。やる気のなさ。膝から力の抜ける脱力発作。
「隼人君、あなたは、ナルコレプシーの典型例です。しかもなかなか判断されなかったので、少しこじらせてしまって、二次障害も出ている状態です。」
と高山医師は、隼人をまっすぐ見つめながら病名を告げた。
「ナルコレプシー?」
初めて聞く病名だった。高山医師は、不安そうな表情になった隼人を励ますように、ゆっくりと説明を始めた。
「ナルコレプシーは、過眠症の一つですよ。通常ならば寝てはいけない重要な場面でも我慢できないほどの強い眠気に襲われたり、突然眠ったりすることが特徴です。いったん眠気におそわれると十分ないし三十分程度くらい眠りこみますが、眠りからさめた後は数十分間すっきりした爽快感が得られます。心当たりあるでしょう?」
「はい。内容が退屈だからとかじゃなく、食事をしているときですら、寝てしまうのです。寝る時刻は自分で予知できません。」
「それが、この病気ではないかと一番最初に気づく症状です。起き続けられずに眠り込んでしまうのは、脳の覚醒中枢のはたらきが悪くなっているためなのです。気持ちのもちようでどうこうなるものではありません。」
「日本では、六百人に一人がナルコレプシーであるといわれており、比較的多い病気なんですが、ほとんど認知されていないので、こういう病気があることを知らない人がほとんどです。十歳代~二十歳代前半に多いです。隼人さんにも当てはまりますね。自分がナルコレプシーであるとは知らない場合は、眠りすぎることが問題に思えて、隼人君のように最初は内科や小児科を受診することが多いです。しかし、内科の医師ですと「よく眠るのは病気ではない」と診断されてしまうこともあります。痛いとか熱が下がらないとかだと、周りもほっておかないし、なんとか治療しようとするものですが、ナルコレプシーには、それはない。だから、患者さんの中には、十年間以上もこの病気で苦しんできたという人もいます。平均すると、発症して数年たってはじめて、病気として適切に扱ってもらえるようです。もっと早くに正しい診断をされていたなら、どんなに苦痛が減っただろうと気の毒に思宇ことが多いです。ナルコレプシーは睡眠をコントロールする脳の機能に異常をきたす病気です。」
「どういう理由でナルコレプシーになるのかはよく分かっていません。おそらく幾つかの要因があるのだと思います。
一つ考えられるのは、遺伝的なものです。ナルコレプシーの患者さんには、遺伝子の特徴がいくつかあることが知られています。
また、自己免疫疾患で、自分自身の抗体が脳のオレキシンを分泌する部位を壊してしまうということもあるかもしれません。頭部外傷によってこのような状態になることがあるとも言われています。
でも、どうして起きるのかはまだよくわかっていない部分があるんです。そのため、根治は難しいかもしれません。あ。そう聞くと不安になったでしょう?ごめんなさいね。隼人君を不安にさせたいわけではないのです。私は事実を告げます。不都合なことを隠して話しているようでは、信頼関係は築けませんからね。良いことも悪いことも全部、そのままお伝えします。その上で、どう進んで行くか、しっかり照準を定め、生きやすいようにしていく、それが、病気の治療ではとても大事なことなのです。」
隼人には、高山医師の言葉の一つ一つが素直に体の中に転がってくるのを感じていた。それで、うなずきながら、しっかり話を聞いていた。
「前回の診察でも少しお聞きしましたが、今日はもう少し詳しく状況を教えて欲しいことがあります。質問してもいいですか?」
「この病気には、大喜びしたり「やった!」「しめた!」と得意になったときなど喜怒哀楽の感情の激しいとき急に顔や首、手足の力がかくんと抜けるという症状があり、この間意識は正常で、周囲の話が理解できるのです。でも、この発作がでているときには、顔面筋や発語筋にも脱力がおこり、そのために言語が不明瞭になるというものですが、そんな経験はなかったですか?」
と高山医師に言われて隼人は思い当たることがたくさんあった。その経験を整理して、高山医師に話した。
・陸上部の記録会で、スタート直前に膝がガクガクする程度から、地面にくずれるように倒れた。
・「掃除当番忘れるなよ」と言われて、よく眠っているから、また寝てさぼるんじゃないかとなじらたれたと思い、その級友の胸ぐらをつかみかかったときに、激しく怒っていて、自分でも級友をなぐってしまうかと思ったのに、急に力が抜けて座り込んでしまった。
・小学校の担任の先生の結婚式サプライズビデオを撮影するために、小学6年の時の同級生が公園に集まろうという話を電話で伝えてくれた、小学校の時の親友浩二からの電話で、卒業以来一年半ぐらい会っていない友だちと会えると思ったら興奮して脱力した。電話口で浩二が急に自分が黙ったので、心配していっぱい話しかけてくれたが、ちゃんとしゃべろうと思っているのに、全然話せなかった。
・その結婚式サプライズビデオを撮影するために、小学6年の時の同級生が集まった公園で、中学受験のお守りをくれて、自分も好きだった優美に卒業以来初めて会った。話したいことがいっぱいあったのに、近くに行って話しかけようとしたら膝から崩れ落ちた。顔がこわばり、言葉が出なかった。その様子を見た彼女は「気持ち悪い」と一言言って離れて行ってしまった。しばらくして元に戻ったが、ショックで誰とも話せずにいたら、そのまま眠ってしまった。
・食事の時、また何か言われるかと思っていたら、食べ物が食べられなくなったり、お箸を落としたりした。
「ふむふむ、それはカタプレキシーという情動脱力発作です。その症状もかなりあったのですね。では、これはどうでしょう?寝入りばなにひどく鮮やかで怖い夢をみたことや、幻覚を見たことはありませんか?」
そうだったのか。力が抜けていたのもこの病気のせいだったんだ。と隼人は納得した。 高山医師は、その話を聞き取り、メモをとっていたが、さらに質問をしてきた。
隼人はこれにもたくさんの心当たりがあった。寝ているときの金縛り的なものも多かったと思う。その話も整理して高山医師に話した。
・兄にのしかかられて、はらわたをえぐりとられた夢を見た。
・隼人が壁に貼ってある画鋲をゴキブリに見間違えて叫んだとき、兄が自室から飛び出してきて、隼人に足払いをして転倒させ、隼人に馬乗りになり顔面をぼこぼこに殴られた。
・電気をつけて寝たときに、世界が急に崩壊して、自分におそいかかってきたような気がして、怖くて恐ろしくて、泣き叫んで母を呼んだら、「寝ぼけてるの?!」と、頬を何度も平手打ちされた。
・寝ているときに目が覚めたら、体が動かなくて、良く形は見えないけれども、グロテスクなゾンビのようなものが、何体も部屋の中を歩いていて、自分のふとんの上にも載って顔をのぞき込んできて、怖くてたまらなかった。でも、声を出そうとしても出せないし、体も動かなかった。
一通り隼人の話を聞いて、高山医師は穏やかに言った。
「典型的なナルコレプシーの症状が出ているようですね。よくわかりました。根治は難しいかもしれないと言いましたが、この病気はどの症状が強く出ているのか調べたら、それぞれに適した薬が開発されているので、多くの場合、薬物療法が有効です。しかし、まずは生活サイクルを規則的に整えることが大切です。病気の特徴に合わせた計画的な休憩・仮眠と夜間睡眠の確保を行うことができれば、薬の効果を最大限に保ったり、薬の服用を減らしたりすることにつながり治療に役立ちますよ。生活を規則正しくして、薬物で眠気をコントロールして、苦しむことなく生活できる程度に症状を軽くすることが治療の基本です。症状が軽い場合には、薬物を用いず生活をコントロールし、適当に昼寝をするだけでよいこともあります。」
えっ?原因がはっきりわからなくても、完全に治ることがないかもしれないけれど、ちゃんと治療できる?
「ナルコレプシーの患者さんたちは、医者からも「よく眠れるんだからいいじゃないか」不眠に悩む人からは「眠れない方がずっとつらいよ」と羨ましがられることがありますが、ナルコレプシーの患者だけが感じる苦痛も多いことを、もっと周知していかないといけません。」
「大事な場面でも眠ってしまうという表面にでている事象だけで、その人の人格を否定することが、この病気の場合しばしば起こっています。「意欲が足りない」「だらしない」などと責められ、本人自身ではどうもできないのに、自分を責める結果になることが多いし、怠け者のレッテルを貼られることがも多いのです。この病気は、認知されていないために、無理解や誤解、偏見がつきまといます。それが一番辛いよね?隼人君もずいぶん辛い思いをしてきたことと思います。隼人君は小学6年で発症している。本当に今まで良く頑張りましたね!」
高山医師が言葉を切ったので、高山医師を見たら、とても温かい目で隼人を見ていた。隼人がつらい思いをしてきたことを、たった二回会っただけのこの医師が理解してくれている。そのことは伝わってきた時、隼人はそのとき今までの鬱積していたものが全部壊れて、人目もはばからず、幼児のように大泣きをした。
「そうだよう!先生、僕は、どの病院に行っても、進学校に入ったのに、寝てばかりいてとか、怠け者とか、気合いがたり怠け者とか、罵倒されるばかりだった!つらかったよう!悲しかったよう!助けて欲しかったよう!ずっとずっとずっと苦しかったよう!!」
そんな隼人の叫びを高山医師は優しくうなずいて、聞いてくれた。
病名は確定したけれど、隼人の場合、長年病名が判明しなかったことによる周囲の不理解で起きた二次障害も深刻だった。病名を確定するため、治療方針を決めるため、適合する薬を探すために、検査が必要だったので、入院して、いろいろな検査をすることになった。
一般的にナルコレプシーの検査は、次のようなものである。
一つ目は、「終夜睡眠ポリグラフ検査(PSG)」。
これは、夜間の睡眠状態を評価する精密検査である。この検査では、睡眠中のさまざまな生体情報を同時に記録することができる。睡眠ポリグラフ検査上の入眠時レム睡眠の出現が診断の指標の一つであるからだ。健常者では約90分の睡眠周期の後半にレム睡眠が出現するのが通常であるが、ナルコレプシー患者では夜間も日中も入眠直後にレム睡眠が出現しやすい。
二つ目は、「反復睡眠潜時検査(MSLT)」。
これは、日中の眠気を評価する精密検査。脳波を測定しながら、日中に数回の昼寝を行い、睡眠潜時(寝ようとしてから実際に寝るまでの時間)を調べる検査法である。
「入眠までの時間」の測定と、「レム睡眠の出現の有無」を測定するときには、脳波、筋電図、心電図、眼電図、呼吸センサー、酸素飽和度、胸・腹部の動きなどを同時に記録し、睡眠の質や量を評価する。
隼人の場合は、情動脱力発作があったので、ヒト白血球抗原(HLA)検査も必要だった。
ナルコレプシーの遺伝的な検査として、HLAといういわば白血球の血液型を調べる検査である。ヒト白血球抗原(HLA)検査であるDQB1*06:02遺伝子が陽性と出れば、遺伝的要因によるものと考えられる。情動脱力発作を伴うナルコレプシー患者日本人ではほぼ100%がHLA-DQB1*06:02遺伝子型をもつのである。血液が40ml必要だったのが、隼人は血管が見つかりにくいタイプで、何度も針を刺されて検査されて辛そうだったが、頑張りぬいた。
診断結果は、2週間後に隼人に告げられた。高山医師は、
「やはり、予想通り、隼人君はナルコレプシーと二次障害、うつ状態でした。」
と隼人に告げた。そして治療方針を隼人に語った。
「昼によく寝る反面、夜よく眠れないというのがナルコレプシーのひとつの特徴ですから、夜に早く寝ることです。夜に早めに寝て、十分に睡眠時間をとり、規則ただしい生活をするから始めましょう!」
「朝日を浴びる習慣をつけ「体内時計」を整えましょう。朝日を浴びると、太陽の光を浴びてから約14~16時間後にメラトニンというホルモン分泌が始まり、その1~2時間後に分泌量が上昇して真夜中にピークを迎え自然に眠気が促されるのです。」
「就寝前は、照明を落としてリラックスするくせもつけてください。メラトニンは目から入ってくる光によって分泌が抑えられるので、メラトニン分泌量が増える就寝1~2時間前には照明を落として部屋をなるべく暗くするといいですよ。スマートフォンやパソコン、TVなども心地良い寝つきを妨げますので、眠る前の使用は避け、心身がゆったりできる環境を整えましょう。それができているかどうか、確かめたいので睡眠管理表の記載は続けて下さいね。診察の際には必ず持ってきて下さい。」
「その上で、過眠症状を改善するために薬を服用してもらいます。過眠症状に対しては、中枢神経刺激薬といわれる目を醒ます薬を用います。リタリン錠を使ってみましょう。一般名をメチルフェニデート塩酸塩錠といいます。病気の特徴に合わせた計画的な休憩・仮眠と夜間睡眠の確保を行うことができれば、必ず症状は軽減されますよ。それを朝昼飲んで下さい。」
高山医師の話は、隼人の心の中に染み渡った。高山医師の人柄のせいもあるだろうが、自分のことを本当に心配して、話ってくれているのがわかったから、何でも素直に聞ける気がした。
リタリンを服用し始めたら、びっくりするくらい、体も頭もすっきりした。はやり僕はナルコレプシーだったんだ。初めて通院することが楽しくなった。高山医師も看護師もみんな言い方が優しいと隼人は感じた。それは決して甘やかして優しくしてるのではなく、隼人ができていないことはきちんと伝えて、改善方法を提案するが、高圧的な物言いはしない。そういう姿勢だった。二回目の診察で、高山医師が「私は事実を告げます。不都合なことを隠して話しているようでは、信頼関係は築けませんからね。良いことも悪いことも全部、そのままお伝えします。」と言っていたのはこのことなんだと思い、ますます隼人は高山医師を信頼するようになった。
リタリン服用をしばらく続けて、受診した時、高山医師は、隼人の睡眠管理表を確認し、
「う~ん。隼人君はだいぶ調子がいいと言ってくれているので、良い方向なのは間違いないですが、この睡眠管理表から分析すると、夜の睡眠がまだしっかりとれているとは言えませんね。でも、リタリンは効いているようなので、これからは、二次障害のうつ状態の治療を始めましょう。隼人君は、周りの人に理解されなかったことから、心を病んでしまってうつ状態になってしまったのです。でも、この病気も珍しい病気ではありません。隼人君の症状に合うパキシル錠を飲みましょう。朝はリタリン、夜はパキシル、この服用で、気持ちがだいぶ軽くなるはずです。」
高山医師はよくなってきている隼人の様子を見て、目を細めて嬉しそうに話をしてくれた。
「うつ」と言われた時は、多少なりともショックを受けたが、それは自覚症状があった。中学三年で不登校になる前後から、人の視線が怖くなり、何ごとにもやる気がおきなくなっていたし、自分の目を見られるのが嫌で、前髪で目を隠すようになっていた。人とかかわりたくなかったのも、そのせいだったのだとわかった。なので、パキシルを飲むようになって不安症状がとれていくのを感じていた。少しずつ人の視線が気にならなくなっていった。
高山医師は、受診のたびに、できていないこと、課題を指摘するが、必ず隼人が努力したことについて褒めて、自信を持たせてくれた。
「薬で睡眠と気持ちをだいぶコントロールできるようになってきているし、生活リズムも整ってきたようだから、できることから少しずつ行動してみたらどうですか?」
とアドバイスされたので、しばらく家に引きこもっていて、全く運動をしていなかったから、運動をしてみるかと思った。隼人が自分から外に出て運動してみたいと思うなんて、高山医師で出会う前とは別人のようだ。前髪も切ってさっぱりし、家の周りをランニングしてみた。風が気持ちいい。お日様が暖かい。鳥の声がする。そういうものを肌で感じて、隼人はとても幸せな気持ちになった。
しかし、ちょっと調子に乗りすぎたのか、しばらく動かしていなかった体が驚いたのか、気胸になってしまった。気胸とは、何らかのきっかけで肺の中の空気が胸腔内に漏れ出ることで、突然激しい胸痛が起きて救急車で運ばれて、入院となってしまった。やせた人に多く発症するらしい。せっかくよくなってきたのにと思ったが、高山医師が毎日病室をのぞいて話をしにきてくれた。
「何ごともいいように考えようよ。病気もよくなってきているんだし、入院中にこれからの人生の地図を考えてみてはどうかな?」
と高山医師に言われて、なるほど、そうか、と隼人は思った。入院中は、家から離れたということもあってか、こんなにぐっすり眠れたのはいつぶりだろうと思うくらい、朝までしっかり眠ることができて、快適だった。そんな中で僕が考えたのは、高校に行こうということだった。中三で不登校になって以来、自分の人生は止まってしまった。そこから前に進んで行くためには、どんな形でもいいから、高校だけは卒業したいと思って、高山医師に相談したら、通信制高校を勧めてくれた。なるほど。これだと、毎日必ず登校しなくても良い。そして、ある程度履修教科も自分の都合に合わせて考えることができる。
何よりどんなことでも一緒に考えてくれる高山医師の言葉は、どんな治療よりどんな薬より、隼人の病気を治してくれる特効薬だと思えた。
退院して、隼人は通信制の高校に入学した。最初は週一日しか登校できなかったが、最後は週五日通うことができるようになり、無事卒業した。体調もだいぶよくなって、夜にパキシルと睡眠薬と昼寝をすれば、ナルコレプシーの症状で悩まされることがほとんどなくなった。なので、ナルコレプシーの治療薬であるリタリンは、服用を中止したり再開したりしながらも、結局やめることができた。
通信制高校は、いろいろな環境の生徒がいて、毎日が楽しかったから、高校にいる間に2つの進路を考えた。一つは通信制高校の教師、もう一つは看護師。どちらにするか悩んだが、隼人は、自分は発症した病気の認知度が低く、なかなか適切な治療を受けることができなかったので、病気を治す仕事に就きたいという思いが強くなり、高校卒業後、大学の看護学科に進み、看護師になる勉強を始めた。高山先生と一緒に働きたい。そういう気持ちも強くなっていた。
しかし、同級生は年下が多く、軽いノリの学生が多かったので、大学ではなかなか友だちができなかった。学校に行けていなかったから、バレーボールのルールを知らなかったのだが、他の学生達は教えてくれるどころか、そんなことも知らずによく今までやってこれたなと隼人を馬鹿にした。隼人は、人を思いやることができない人間が看護師という人間の心と体を助けることができるのか?と思った。なので、友人を作ろうとはせず、大学は看護師になる勉強をするところだと割り切って、通うことにした。また孤独な毎日が訪れたが、今は前とは違う。自分には目標ができた。それに向かって頑張る。応援してくれる人もいる。辛いとき隼人の心に浮かぶのは高山医師の笑顔だった。
さすがに看護学部だから、そんな人間性に欠ける人間ばかりではなかったので、少しずつ大学にも打ち解け、無事卒業し、試験にも合格して、今隼人は立派な看護師として働くようになった。
隼人は、少し人生において回り道をしたかもしれないけれど、病気をしたことで、人間として大切な物を手に入れたと思っている。一つは人は目に見える事象だけで価値判断を下してはいけないこと。そして、ナルコレプシーの症状は完全に克服はできないかもしれないけれど、改善していくのは本人の意思に左右されるから、絶対に自分の味方になってもらえる人を作ることが大切だということ。隼人は高山医師と出会うことができて本当によかったと思っている。